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宮中服(きゅうちゅうふく)は、日本第二次世界大戦中であった1944年昭和19年)10月30日に、小磯内閣小磯國昭首相)下で、皇室令8号「女子の宮中新通常服」で制定された、皇室の婦人服。元禄袖の上衣に行灯袴、足元はパンプス

海外からの輸入が停止されて洋服生地が入らなくなった事情に鑑み、無地の和服地一反分で上下を調製できた。帯がなく、着装も簡便化された。

目次

由来編集

1940年(昭和15年)に男子の国民服が、また1942年(昭和17年)には婦人標準服として腰丈の着物ともんぺが制定されたことを踏まえ、皇室では国民生活に配慮し宮中服が考案された。

皇族妃以上は紋緞子(もん)、女官以下は綸子(りんず)を礼装に、平常時は皇族妃も紋綸子、または洋服地とされた。

第二次世界大戦後も時世に配慮し宮中服は続き、1951年(昭和26年)の貞明皇后崩御時も香淳皇后以下の妃は黒の宮中服で臨んだ。

その後、打掛のような「お掛け」が香淳皇后から直宮の3妃に送られ、新年祝賀の行事は白羽二重の着物の上に、帯留なしで少し細い丸帯文庫結びし、その上から「お掛け」を羽織り、手には象牙の扇子を持つ礼装が続いた。

その後の皇室用婦人服編集

1954年(昭和29年)7月1日第5次吉田内閣吉田茂首相)下で制定された「内閣及び総理府関係法令の整理に関する法律」により、宮中服、お掛けなど戦中の服制を含む明治以来の服装令は廃止される。

第二次世界大戦中から戦時体制により着用されることのなかったマント・ド・クールは使用されなくなり、第一礼装にローブ・デコルテ、第二礼装にローブ・モンタント、ビジッティング・ドレスがアフタヌーンドレスに格上げされ、新年祝賀や宮中晩餐会などはローブ・デコルテ、天皇誕生日、皇后誕生日、講書始歌会始などはローブ・モンタント、園遊会、午餐、行啓御成などはアフタヌーンドレスになった。

国賓の答礼晩餐会(リターンバンケット)や園遊会では女性皇族は和服礼装も着用する[1]

脚注編集

  1. ^ 明治150年記念「華ひらく皇室文化~明治宮廷を彩る技と美~」展図録寄稿文、彬子女王著『明治宮廷の華』青幻社、2018年、18 - 20頁

関連項目編集