宮内家住宅

愛媛県伊予市の民家

宮内家住宅(みやうちけじゅうたく)は、愛媛県伊予市灘町にある建築物宮内小三郎家(みやうちこさぶろうけ)[1]旧宮内邸(きゅうみやうちてい)とも呼ばれる。2018年(平成30年)には内部にまちの縁側「ミュゼ灘屋」が開館した。

宮内家住宅

主屋
所在地 愛媛県伊予市灘町123番地
位置 北緯33度45分27.6秒 東経132度42分5.2秒 / 北緯33.757667度 東経132.701444度 / 33.757667; 132.701444座標: 北緯33度45分27.6秒 東経132度42分5.2秒 / 北緯33.757667度 東経132.701444度 / 33.757667; 132.701444
類型 町家
建築年 主屋(1738年)、古隠居(1808年)、隠居所(1912年)、潮見堀(江戸後期)
文化財 国の登録有形文化財
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歴史

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宮内家住宅と街道

1636年寛永13年)に伊予松山藩から大洲藩にお替地(領地変換)に伴い、当時伊予国上灘村(現在の伊予市双海地区)の宮内九郎右衛門・清兵衛兄弟が大洲藩主加藤泰興に米湊村(現在の伊予市郡中地区)の梅林の海岸の開拓を許され、宮内一族によって近世の街並みを振興した[1]

2017年(平成29年)、伊予市景観重要建造物第1号に指定された[2]。2018年(平成30年)5月には主屋・古隠居・隠居所・潮見堀の4件が国の登録有形文化財に登録された。同年12月、当時のまま残された書院造の座敷をスペースとして改装し、まちの縁側「ミュゼ灘屋」が開館した。

建築物

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主屋は1738年元文3年)に建築された。幕府の巡見使や、伊能忠敬測量隊の本陣(宿泊所)として使用された[3]1808年文化5年)、伊能忠敬の測量隊は上灘村・小網・高川村・森村まで測量し、大雨のため船で湊町についたのである。古隠居は1812年文化9年)の建築。隠居所は1912年明治45年)の建築であり、棟梁は臥龍山荘の臥龍院を手掛けた中野虎雄である[1]

脚注

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  1. ^ a b c 2009、「ぐるっと88エリアガイド・伊予」、『い〜よぐるっと88』、伊予市観光協会 pp. 50
  2. ^ 伊予市ホームページ
  3. ^ 2009、「ぐるっと88エリアガイド・伊予」、『い〜よぐるっと88』、伊予市観光協会 pp. 50-51

外部リンク

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