宮 氏信(みや うじのぶ、生年不詳 - 応永6年(1399年))は、南北朝時代から室町時代前期の武将。宮兼信の子。通称は下野次郎、後に次郎左衛門尉、上野介入道と称した。

生涯編集

室町幕府の備中守護であった宮兼信の嫡男として生まれた。父兼信と共に足利尊氏義詮に仕える。貞治2年/正平18年(1363年)の備後宮内合戦で、備後品治郡宮内に陣した足利直冬の軍勢を打ち破る(『太平記』38)。応永6年(1399年)の応永の乱で幕府軍として丹波国に出陣して討ち死にした(『応永記』)。法名は勝源因公。

備後に明極楚俊を開山として護国寺を建立した。子孫は「宮上野介家」として備後に大きな勢力を持った。

上野介家として史上に現れるのは満信(上野介、入道信雄)、教信(又次郎・次郎左衛門尉、上野介)、政信(若狭守)、実信(上野介)などである。