富井周
日本の外交官
富井 周(とみい あきら[1]、1890年〈明治23年〉8月17日[2] - 1959年〈昭和34年〉1月23日[3])は、日本の外交官。駐カナダ公使、駐アルゼンチン大使。男爵。
経歴
編集東京府東京市出身[4]。1915年(大正4年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、同年に高等試験外交科に合格した[2]。領事官補として奉天、ニューヨークに勤務した後、在アメリカ合衆国日本国大使館三等書記官、在英国日本国大使館二等書記官、オタワ総領事、在カナダ日本国公使館一等書記官、ドイツ大使館一等書記官を歴任[2]。さらに外務書記官・外務大臣官房文書課長、同翻訳課長を経て、サンフランシスコ総領事、イギリス大使館参事官、駐カナダ公使を務めた[5]。1941年(昭和16年)、駐アルゼンチン大使に任命された[5]。1959年(昭和34年)、勲二等旭日重光章受章[6]。
親族
編集父の富井政章は民法典論争に関わった法学者で男爵。貴族院議員や枢密顧問官を務めた。太刀川平治と植村甲午郎は共に義兄(姉の夫)。
栄典
編集- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[7]
脚注
編集- ^ Expresar beneplácito por el 120° aniversario de las relaciones diplomáticas de la República Argentina con el Estado de Japón. | Diputados Argentina
- ^ a b c 大衆人事録 1930.
- ^ 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年、p.162。
- ^ 大衆人事録 1937.
- ^ a b 日本官界名鑑 1942.
- ^ 昭和34年 1959年1月29日付官報 本紙 第9628号 417頁
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
編集- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十七年版』日本官界情報社、1942年。
日本の爵位 | ||
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先代 富井政章 |
男爵 富井(政章)家第2代 1935年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |