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富永町(とみながちょう)は、愛知県豊田市町名2011年12月1日現在の人口は25人[1]郵便番号は441-2526。

富永町
富永ダム
富永ダム
豊田市内における富永町の位置
豊田市内における富永町の位置
富永町の位置(愛知県内)
富永町
富永町
豊田市内における富永町の位置
北緯35度12分13.7秒 東経137度27分22.8秒 / 北緯35.203806度 東経137.456333度 / 35.203806; 137.456333
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Aichi Prefecture.svg 愛知県
Flag of Toyota, Aichi.svg 豊田市
地区 稲武地区
面積
 • 合計 1.77km2
人口
 • 合計 25人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
441-2526
市外局番 0565
ナンバープレート 豊田

地理編集

豊田市の北東部に位置し、稲武地区(旧東加茂郡稲武町の町域にほぼ相当する)に属する。北で牛地町、東で黒田町、南で小田木町、西で田津原町と隣接する。国道153号の途上である水別峠(みずわかれとうげ、豊田市小田木町)から北西に位置する山がちの町である。 町域南部では富永川が隣接する小田木町との町境に沿うように西進し、町域を越えた付近で小田木川に合流する。その富永川の源流は、町域南東部で小田木町との町境にまたがる富永調整池から富永ダムを通じての放流水である。

人家は町域のほぼ中央部に点在する。町域北部はほぼ深い山林に覆われている。町域東部は元々谷地であったのが、富永ダム建設に当たって生じた残土が埋め立てられて平坦地となった[3]。現在ではその場所に名古屋市野外学習センターと関連施設が立地している。 産業は農林業が中心であるが、昭和30年代までは養蚕業も盛んであったという[3]

歴史編集

地名の由来編集

伝説では、永きに渡って富むことを願い、名づけられたとされる[3]

沿革編集

その他編集

  • 村域の大部分が山林であることから、往時より近隣村とのあいだで境界に関わる争論が多かった。1765年明和2年)、1771年(明和8年)、1873年(明治6年)、1877年(明治10年)に生じた近隣村との争論の記録が伝わっている[3]
  • 1867年(慶応3年)には、吉田藩に納めるために製造していた火薬が爆発する事故があり、死者や家屋の焼失が出ている[3]

寺社編集

  • 神明神社
天元期の勧進により建立されたという[8]。また、同社の石祠は1792年寛政4年)の作とされる。

文化財編集

散布地編集

  • 所畑(ところばた)遺跡[9]縄文時代弥生時代、中世
  • 石神(いしがみ)遺跡[9]、縄文時代
  • 貝内(かいと)遺跡[9]、縄文時代

脚注編集

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出典
  1. ^ a b 町別面積・人口・世帯数[リンク切れ](豊田市ウェブサイト、2012年1月22日閲覧)
  2. ^ なお、当該データの示す「人口」の根拠については明記が無い。ただし、豊田市の他のウェブページ(「データ提供 豊田市の人口」豊田市ウェブサイト、2012年1月22日閲覧) Archived 2012年3月20日, at the Wayback Machine.に示すように、住民基本台帳及び外国人登録原票をもとに整理された「登録人口」であると思われる。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:900-901ページ
  4. ^ a b 『日本歴史地名体系』23:1179ページ
  5. ^ 『豊田加茂の地名』:18ページ
  6. ^ 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:1176ページ
  7. ^ 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:21ページ
  8. ^ 『日本歴史地名体系』23:957ページ
  9. ^ a b c 埋蔵文化財一覧 散布地(豊田市ウェブサイト、2012年1月15日閲覧)

参考文献編集

  • 『愛知県の地名』日本歴史地名大系23、平凡社、1981年。
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』、角川書店、1989年。
  • 『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
  • 深津重貞 「豊田加茂の地名」、1991年。

外部リンク編集