寿岳しづ
経歴 編集
日本ライトハウスの創始者で愛育事業を行った岩橋武夫の妹。兄武夫が早稲田大学在学中に失明し関西学院に転じたため、兄の杖がわりとなって一緒に通学、ノートをとるなどして助けた。 英文学者・寿岳文章と結婚[1]。1927年に小説『朝』を発表した後、1933年に居を京都府向日市に移した[2]。1937年、ウィリアム・ハドソンの『はるかな国・とほい昔』を翻訳するなど、文筆活動に活躍。
文章とともに和紙の研究を行い、1943年に共著『紙漉村旅日記』を私家版で刊行。戦後は平和・女性運動に携わり、市川房枝の婦人運動に参加、京都の「憲法を守る婦人の会」代表幹事、「明るい民主府政を進める婦人の会」代表委員を務めた。国語学者で社会運動家の寿岳章子は長女[3]、天文学者・寿岳潤は長男。
著作 編集
文章との共著 編集
翻訳 編集
脚注 編集
- ^ 寿岳しづ『出身県別 現代人物事典 西日本版』p904 サン・データ・システム 1980年
- ^ “向日で築いた「知の世界」 市資料館で寿岳文章回顧展 日記やバイニング夫人書簡 / 京都”. 毎日新聞 (2021年3月8日). 2022年7月9日閲覧。
- ^ “故寿岳章子さんを語る”. 新聞あかはた (2005年). 2022年7月9日閲覧。