小倉 元悦(おぐら もとよし)は、戦国時代武将毛利氏家臣。父は近江国蒲生郡小椋庄の八尾城主の小倉実隆元実とも。

 
小倉元悦
時代 戦国時代
生誕 天文8年(1539年
死没 永禄10年4月7日1567年5月15日
改名 小倉岩夜叉(幼名)→小倉元悦
別名 小倉元実
通称:新四郎
官位 木工助越中守
主君 六角義治毛利元就
氏族 清和源氏満政流小倉氏
父母 父:小倉実隆
兄弟 実資行春、男子、元悦
楢崎豊景の娘
女(小倉元廉室)
養子:元廉内藤元方の三男)
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生涯 編集

天文8年(1539年)、近江国蒲生郡小椋庄の八尾城主の小倉実隆の四男[1]として生まれる。

永禄7年(1564年)、分家である小倉西家の山上城主の小倉右京大夫延暦寺領であった山上郷の年貢を横領したことから、六角義治の命を受けた父の実隆は小倉西家と戦ったが戦死。この事態に対し、実隆の実父である蒲生定秀が介入して小倉西家を討伐したことで、小倉氏の勢力は衰退した。次兄の行春らは以後蒲生氏家臣となったが、元悦は厳島神主家を頼って安芸国に移り住み、毛利元就に招かれて側近として仕えた。

永禄10年(1567年4月7日に死去。享年29。元悦に男子はなく、内藤元方の三男の元廉が婿養子として家督を相続した。

脚注 編集

  1. ^ 七男とも。

出典 編集