小倉 康臣(おぐら やすおみ、1889年11月29日 - 1979年1月15日)はヤマト運輸創業者。東京都中央区銀座出身。

経歴 編集

銀座の原料紙問屋「川善」を経営していた両親の元で生まれ、8人目の三男であったことから八三郎と名付けられた(のちに改名)[1]。東京外語学校の夜学で英語を学び、工場などで働いたのち、24歳で手車による移動販売の「挽き八百屋」として独立し、京橋の大根河岸で野菜を仕入れ、銀座、新橋、芝、赤羽橋で売り歩いた[1]

1919年に日本初の交通整理が行われ、牛馬車が締め出されて自動車が走るのを見て[1]、30歳の誕生日に京橋に自動車を投入した運送会社大和運輸(当時)を設立。三越百貨店の市内配送を請け負って東京における運輸業者の地歩を固め、戦後は進駐軍の輸送業務を請け負って業務を復調させ、高度成長期には松下電器などの関西家電メーカーの長距離輸送を手掛けて成長させた[1]。1971年に社長の座を息子の昌男に譲る。

人物 編集

事業に積極的で先進的な気性だったが、せっかちで強引でもあり、部長が自席にいないだけで激怒したり、家に帰ってすぐ食事ができないと皿や小鉢を妻に投げつけたりの一面もあった[1]

家族 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 『小倉昌男 祈りと経営』森健、小学館、2016、p57-60