小出 英及(こいで ふさつぐ)は、江戸時代前期の大名但馬国出石藩の第9代藩主官位はなし。出石藩小出家8代。

 
小出英及
時代 江戸時代前期
生誕 元禄7年11月29日1695年1月14日
死没 元禄9年10月22日1696年11月16日
改名 久千代、英及
墓所 東京都港区三田の随応寺
官位 なし
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉
但馬出石藩
氏族 小出氏
父母 小出英長半井成忠の娘
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生涯

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元禄7年(1694年)11月29日、第8代藩主・小出英長の長男として誕生。幼名は久千代。母は半井成忠の娘。

生後1か月の12月17日に父が死去したため、翌年2月14日に家督を継ぎ、後見人として一門である旗本の小出英直小出英輝小出英雄らが就いた。しかし英及の相続には不審なところも多く、実は英及は家督相続直後に死去していたと、領民の間にまで噂があがるほどであった。

通説では、英及の死去は元禄9年(1696年)10月22日となっている。僅か数え年の3歳(満1歳)で嗣子がいるはずもなく、小出家嫡流は断絶した。死後、出石藩では藩主死去の混乱から11月1日に打ちこわし、焼き討ち、襲撃事件があちこちで起こり、丹波国亀山藩久世重之によってようやく鎮圧された。墓所は東京都港区三田の随応寺。