小松清香
小松 清香(こまつ きよたか)は、江戸時代中期の薩摩藩士。家格一所持。吉利郷私領主の小松家当主で、禰寝(根占)の名字を改めて小松氏を称した最初の人物であり、中世禰寝氏の顕彰にも努めた。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 正徳4年10月23日(1714年11月29日) |
死没 | 天明6年10月28日(1786年11月18日) |
改名 | 吉次(幼名)、清香 |
別名 | 孫左衛門、式部、帯刀(通称) |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 島津継豊、宗信、重年、重豪 |
藩 | 薩摩藩士 |
氏族 | 島津氏、禰寝氏、小松氏 |
父母 |
父:島津久春、母:畠山氏 養父:禰寝清方 |
兄弟 | 島津久丘、清香、清宗 |
子 | 安之助、清宗、肝付兼満正室 |
生涯
編集正徳4年(1714年)、島津久春(島津久明の長男、後に久純に改名)の次男として誕生。母は畠山氏。幼名は吉次。
享保9年(1724年)、元服する。父・久春の外祖父が禰寝清雄であったことから、享保20年(1735年)に5代藩主・島津継豊の命で禰寝清方の家督を相続する。延享元年(1744年)、前藩主・島津吉貴の八男の安之助(母は近藤嘉包の娘)を養子とする。
宝暦6年(1756年)、若年寄となる。同年、養子安之助が今和泉島津家の家督を継ぐことになり(島津忠温)、養子縁組を解消し、改めて実弟の島津仙十郎(清行)を養子とする。宝暦11年(1761年)、8代藩主・島津重豪に小松氏に復することを許される。明和4年(1767年)、帯刀と改名する。明和6年(1769年)、国老職となる。安永2年(1774年)、8代藩主・島津重豪の供をして江戸城に登城し、10代将軍・徳川家治と世子家基に拝謁する。同年、藩主世子・虎寿丸(島津斉宣)誕生の際に蟇目役を務める。安永4年(1776年)、職禄1000石を賜る。天明元年(1781年)、長年の国老職の精勤を称されて100石を賜る。隠居して家督を養子・清行(清宗)に譲る。
天明6年(1786年)10月28日死去。享年73。
系譜
編集参考文献
編集- 東京大学史料編纂所「新編 禰寝氏正統系図」