島津 久明(しまづ ひさあき、万治2年6月5日1659年7月24日) - 享保2年4月5日1717年5月15日))は、江戸時代中期の薩摩藩士。家格一所持格。薩摩藩主島津光久の十男で島津家分家の島津準次男家の祖。は初め久治(資料により久始とも)、久明、久朗。大抵の史料では島津大蔵久明で知られる。幼名は虎松。通称は虎之丞、式部、大蔵。薩摩藩家老などを勤める。また、吉田、大姶良、福山の地頭を歴任。

禰寝清雄の長女を妻とした関係で、小松家に養子を出すことが多く、小松清香から清猷までの小松家当主は久明の子孫である。小松清宗にいたっては、準次男家の当主でありながら、藩命で隠居して小松家の養子となっている。

また、寛永寺本堂の手伝い普請の際は、舅の禰寝清雄が奉行を、久明が副奉行を務める。

年譜 編集

  • 寛文12年(1672年)6月5日:鹿児島城において元服
  • 天和2年(1682年)3月28日:吉田郷地頭[1]に就任。
  • 貞享元年(1684年)10月1日:大姶良郷[2]地頭に転ず。
  • 貞享3年(1686年):詰衆となる。
  • 元禄6年(1693年)11月15日:福山郷地頭に転ず。
  • 元禄13年(1700年)1月10日:横目頭[3]。に就任。
  • 元禄14年(1701年)10月11日:家老に就任。
  • 同年10月14日:父の光久の命で本家より分家する。久明の家は準次男家とされた。また、翌月には異母弟の島津久記と島津久房が久明に倣って分家する。
  • 正徳元年(1711年):一所持格に列される。また、準次男家島津家の次男以下は三崎家と称し、明の字を通字とするように令達される。

家族 編集

  1. 長男:島津久純(諱は初め久誠、久芬、久春。父の家督を継ぐ。)
  2. 長女:伊集院蔵人久矩の妻
  3. 次女:仁禮仲左衛門仲輝の妻
  4. 三女:島津十左衛門久置の妻
  5. 四女:島津将監久当の妻
  6. 次男:島津久迢(初め三崎文大夫明見と称すが、準次男家4代目当主で甥の島津久通が小松氏を相続したため、準次男家を継ぐ。)

脚注 編集

  1. ^ 現在の鹿児島県鹿児島市吉田町
  2. ^ 現在の鹿児島県鹿屋市
  3. ^ 同職は後に大目付と改名される。
  4. ^ なお「島津氏正統系図」及び「旧記雑録拾遺諸氏系図3」では『家女房』と書いてあり、生家及び本名などについては省略されている

参考文献 編集

  • 村山知一『近世・禰寝文書』(文昌堂、2001年5月)。
  • 『旧記雑録拾遺 諸氏系図3』(鹿児島県歴史資料センター黎明館編『鹿児島県史料』、鹿児島県、1991年)。
  • 『島津氏正統系図』(尚古集成館編、島津家資料刊行会、1985年)。