山中 貞幸(やまなか さだゆき)は、戦国時代武将尼子氏の家臣。最初に山中氏を名乗った人物である。

 
山中貞幸
時代 戦国時代
生誕 文明17年(1485年
死没 永禄3年2月24日1560年3月20日
改名 宗幸(初名)→貞幸
別名 通称:弾三郎
官位 大蔵大輔(官途名)
主君 尼子経久
氏族 黒田氏山中氏
父母 父:黒田治宗
兄弟 黒田治重、男子、貞幸
満幸?、信直?
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生涯

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文明17年(1485年)、黒田治宗の三男として誕生。

出雲国へ赴き、当時勢いのあった出雲の戦国大名尼子経久に仕えて、功をあげ侍大将となった。その後は出雲の白鹿城[1]主となり4千貫を領した。後に山中大蔵大輔貞幸と称し、武勇の誉れが高かったと伝えられ76歳で死去したといわれるが、最初に山中姓を名乗った事以外の詳しいことは一切不明である。

脚注

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  1. ^ 白髪山、島根県松江市

出典

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先代
黒田治宗
山中氏歴代当主
? - ?年
次代
山中満幸(山中久幸)