山内忠直
山内 忠直(やまうち ただなお)は、土佐土佐中村藩の(再興後の)初代藩主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長18年9月11日(1613年10月24日) |
死没 | 寛文7年6月9日(1667年7月29日) |
改名 | 虎之助(幼名)、忠直 |
戒名 | 顕徳院殿前修理大夫傑岩宗英大居士 |
墓所 | 高知県四万十市の宗英寺 |
官位 | 従五位下、修理大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 土佐中村藩主 |
氏族 | 山内氏 |
父母 |
父:山内忠義 母:松平定勝の娘(徳川家康の養女)阿姫 |
兄弟 | 忠豊、忠直、一安、之豊 |
妻 | 正室:水野忠清の娘 |
子 | 豊定、豊明、娘(亀井政直正室)、ほか娘4人 |
生涯
編集慶長18年(1613年)9月11日、土佐藩第2代藩主・山内忠義の次男として高知城で生まれる。明暦2年(1656年)、父が病により長兄の忠豊に家督を譲って隠居したとき、3万石を分与されて断絶していた中村藩を再興した。寛文7年(1667年)6月9日に死去した。享年55。跡を長男の豊定が継いだ。