山内房治郎

日本の実業家・工芸家(1859−1940)

山内 房治郎(やまうち ふさじろう、1859年11月22日安政6年10月28日〉 - 1940年昭和15年〉1月1日)は、日本実業家工芸家。任天堂骨牌(山内房治郎商店)初代店主。元任天堂取締役社長である山内溥は曾孫。名前の漢字について、文献によっては山内 房次郎(任天堂製花札のパッケージなど)と記述されている。

やまうちふさじろう
山内房治郎
生誕 福井房治郎
1859年11月22日
日本の旗 日本京都府京都市
死没 1940年1月1日(80歳没)
日本の旗 日本京都府京都市
死因 脳血管障害
国籍 日本の旗 日本
職業 工芸家・実業家(山内房治郎商店初代店主)
肩書き 山内房治郎商店初代店主(現:任天堂(株))
任期 1889年9月23日 - 1929年
後任者 山内積良
子供 娘・山内積良(婿養子)
福井宗助
親戚 山内溥(曾孫)
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来歴 編集

1859年、京都に福井宗助の長男として生まれ[1]1872年に山内猶七の養子となる[2]1885年より石灰問屋「灰岩」でセメント小野田セメント京都代理店)を取り扱うかたわら、1889年9月23日に、「京都市下京区正面通り大橋西入る」の地にあった空き家を買い取り、その地に「任天堂骨牌」(山内房治郎商店)を創業した。灰岩の経営と並行して、自らの工芸家としての腕を活用し花札の製造販売を始め、今日の世界的コンピューターゲーム企業「任天堂」の基礎を築いた。当時の任天堂は一つの商店に過ぎず、「本社」ならぬ「本店」で直接花札を買うことが可能だった。房治郎は花札だけではなくトランプの製造も始め、「明治の煙草王」村井吉兵衛と交渉してタバコ流通網を使い花札トランプの販売を開始。房治郎が隠居する頃には日本一のプレイングカード会社となっていた。一方、セメント業でも灰岩からの事業引継を前提に1920年に灰孝本店を設立(孫娘で積良の次女である孝から命名)、1925年には灰岩を完全に継承した。その後も灰孝本店は孝の子孫が事業を引き継いでいる[2]

脚注 編集

  1. ^ 人事興信所編『人事興信録 第9版』(人事興信所、1931年)
  2. ^ a b 灰孝本店と任天堂の基礎を築いた山内房治郎(山内一正さん)”. 明治150年京都のキセキ. 京都市 (2017年12月13日). 2018年1月30日閲覧。

外部リンク 編集

ビジネス
先代
-
任天堂社長
初代:1889年 - 1929年
次代
山内積良