山名 豊久(やまな とよひさ)は、室町時代武士山名宗全の子。

 
山名豊久
鄧林宗棟像(狩野元信筆、龍安寺蔵)
時代 室町時代中期 - 戦国時代 (日本)
生誕 享徳2年(1453年
死没 大永2年10月25日1522年11月13日
改名 山名豊久→鄧林宗棟
氏族 山名氏細川氏
父母 父:山名宗全、養父:細川勝元
兄弟 教豊是豊勝豊政豊時豊豊久
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生涯 編集

細川氏嫡流・京兆家の当主、管領細川勝元の妻は宗全の娘(養女とも)であり、継嗣の無かった勝元は、妻の実家であり、友好関係にあった山名氏より養子として豊久をもらい受けた。しかし文正元年(1466年)、勝元に実子の政元が生まれると廃嫡され、仏門に押し込まれた。この一件は宗全と勝元の対立を生み、応仁の乱勃発の一因になったと言われている。

文明11年(1479年)に発生した毛利次郎の乱で守護方の一員として鎮圧にあたった「山名七郎」を豊久に比定する説がある[1]

豊久はその後鄧林宗棟(とうりんそうとう)と改名、大徳寺68世、妙心寺17世となり大永2年(1522年)に70歳で没した。亡くなる前年の永正18年(1521年)に狩野元信が描いた肖像が現存する(龍安寺蔵)。

脚注 編集

  1. ^ 片岡秀樹「文明・明応期の但馬の争乱について-山名政豊父子と垣屋氏-」『地方史研究』58巻6号、2008年。 /所収:市川裕士 編『山陰山名氏』戎光祥出版〈シリーズ・中世西国武士の研究 第五巻〉、2018年、128-129頁。ISBN 978-4-86403-293-3 

外部リンク 編集