山田 正孝(やまだ まさたか、1908年明治41年)4月11日 - 1995年平成7年)10月16日)は、日本洋画家[1]教育者[1]長崎県長崎市出身[1]

山田 正孝
やまだ まさたか
生誕 1908年4月11日
長崎県長崎市
死没 (1995-10-16) 1995年10月16日(87歳没)
国籍 日本の旗 日本
教育 大阪美術学校
著名な実績 洋画
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代表作に「長崎の唐寺境内」[2]、三部作「長崎の家」「長崎の丘」「長崎の庭」など[1]

略歴

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1908年明治41年)、長崎県長崎市に生まれる[1]

1933年(昭和8年)に大阪美術学校を卒業、同年第1回東光展に作品が入選[1]

1937年(昭和12年)より郷里長崎県に戻り、長崎市立商業学校の教諭を務める[1]

戦後の1950年(昭和25年)から1952年(昭和27年)にかけて3年連続で日展[注釈 1]に出品した3部作「長崎の家」「長崎の丘」「長崎の庭」が全作入選した[1]

1966年(昭和41年)に東光会委員に推挙を受け、1969年(昭和44年)には東光会審査員を務める[1]

1975年(昭和50年)には長崎県美術協会の副会長に推挙された[1]

1995年平成7年)死去[1]

脚注

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注釈
  1. ^ 第6・7・8回日展[3]
出典
  1. ^ a b c d e f g h i j k 長崎県美術館.
  2. ^ "長崎の唐寺境内(1975(昭和50)年)". 長崎県美術館. 2018年12月25日閲覧
  3. ^ "展覧会の変遷と開催年". 日展. 2018年12月25日閲覧

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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