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祭神編集

現在の祭神は次の2柱[1]

  • 日本武尊(やまとたけるのみこと)
  • 稚武王(わかたけのみこと) - 日本武尊の子。

延喜式神名帳における祭神の記載は2座。

歴史編集

概史編集

社伝では、寛平9年(897年)の宇多天皇の勅命による創建という[1]。当地の豪族の宮道氏の祖神であったとされる[1]

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では山城国宇治郡に「山科神社二座 並名神大 月次新嘗」として、2座が名神大社に列するとともに朝廷の月次祭新嘗祭では幣帛に預かる旨が記載されている[2]。また『扶桑略記[原 1]では、延長6年(928年)に「山階大神」の神階が正四位下に昇叙されたと見える[3][2]

文献上では、山科神社の祭礼である「山科祭(やましなのまつり)」の存在も知られる。『本朝月令[原 2]では、寛平10年(898年)3月に山科祭が官祭とされた旨が[2]、『延喜式』[原 3]では毎年4月・11月の上巳の日に山科祭が斎行された旨などが記載されている。なお、宮道列子(宮道弥益の娘)と藤原高藤との間に生まれた藤原胤子醍醐天皇(在位:寛平9年(897年)-延長8年(930年))の生母になることから、山科神社奉斎氏族たる宮道氏の醍醐天皇外戚への位置づけが山科祭の官祭指定の背景として指摘される[3]

ただし、以上の文献で記載される「山科神」については、岩屋神社(山科区大宅中小路町)や宮道神社(山科区勧修寺仁王堂町)に比定する説もあり、詳らかとしない[2]。岩屋神社は当社奥の院であったといい(現在は独立の神社)、かつて大石良雄が山科に隠棲していた際には、岩屋神社に参篭して大願成就を祈ったという[1]

江戸時代には「西岩屋大明神」や「一の宮」と称されていた[4]

明治維新後、社名を現在の「山科神社」に改称[2]。また明治6年(1873年)には近代社格制度において村社に列している[3]

神階編集

文化財編集

京都市指定文化財編集

  • 有形文化財
    • 本殿 1棟(附 石燈籠2基)(建造物) - 江戸時代前期の造営。1984年(昭和59年)6月1日指定[4]

脚注編集

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原典

  1. ^ a b 『扶桑略記』裡書 延長6年(803年)11月9日条。 - 『国史大系 第6巻 日本逸史・扶桑略記』(国立国会図書館デジタルコレクション)355コマ参照。
  2. ^ 『本朝月令』4月上巳山科祭事。
  3. ^ 『延喜式』巻15(内蔵)山科祭条。

出典

参考文献編集

  • 境内説明板(京都市設置)
  • 加藤隆久「山科祭」『国史大辞典吉川弘文館
  • 「山科神社」『日本歴史地名大系 27 京都市の地名』平凡社、1979年。ISBN 4582910122

関連項目編集

外部リンク編集