山里ユキ(やまざと ゆき、1937年10月2日 - )は琉球民謡歌手、沖縄音楽の代表的なアーティスト。沖縄県本部生まれ。1961年、24歳の時に普久原恒勇に師事し、「新里前とよー」「嘆きの梅」を嘉手苅林昌と初レコーディングした。1965年には女子初の「本部ナークニー」をレコーディングし、現在は本部ナークニー大会の審査委員もやっている。普久原朝喜作「夢の唄」「思い出の唄」のオリジナル曲を発表した。1982年には「遊び仲風」を発売した。

その後も数々の名曲を歌い上げ「ユキねえ」の名称で愛されている

2004年、「第一回普久原朝喜賞受賞」。(45年記念公演「命一つ、歌一つ」パンフレットのプロフィールを引用)

2007年芸歴45年記念公演「命一つ、歌一つ(ぬちてぃーち、うたてぃーち)」を開催した[1]

1994年までは山里ゆき子名義で活動していた。

脚注 編集

  1. ^ 山里ユキ45周年公演 染み渡る情感の歌声”. 株式会社琉球新報社 (2007年12月6日). 2007年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月5日閲覧。