岡田 和生(おかだ かずお、1942年10月3日 - )は、日本実業家技術者ユニバーサルエンターテインメント創業者・元代表取締役社長

人物・来歴 編集

大阪府で6人兄弟の6人目として生まれる。京都府福知山市育ち。1952年東京都板橋区に転居。幼少時に父親を胃がんで亡くす。1962年に東京テレビ技術専門学校(現東京電子専門学校)卒業後、テレビ修理業として働いた。1969年ジュークボックスリース業のユニバーサルリースを設立、代表取締役社長就任。1973年販売部門を分離しユニバーサル技研設立。1979年開発部門を、ユニバーサルテクノス(現ユニバーサルエンターテインメント)として分離し、代表取締役社長就任。1981年3月に法人税法違反で宇都宮地検から起訴され、1981年7月に懲役1年、執行猶予3年という判決を受けた。こののちにはパチスロの標準システムを開発して業績を伸ばし、1998年には株式公開を果たし社名をアルゼに変更(2009年まで使用)、1999年には日本長者番付で1位となる。

2000年にラスベガスのカジノ王スティープ・ウィンのバルビノ・ラモーレ社に280億円を出資、同社の後身ウィン・リゾーツの取締役となる(2012年に解任され、法廷闘争となる)[1]

私生活では最初の妻との間に1男1女をもうけるが、1998年にその妻が死去し、翌年に再婚する[2]。2013年に岡田美術館を開設[3][4]

同年、弁護士の荒井裕樹からジャスダック上場企業SJI(現・カイカ)の中国人経営者・李堅(北京大学卒の元国費留学生)を紹介され、李と組んで複雑なスキームのマネーロンダリングで資金操作を行なったが、20億円を焦げ付かせた(SJI社の実態は李の株取引の失敗で巨額借金を抱え、架空取引で自転車操業状態だった)[1]

2017年、節税対策で香港に設立した一族の資産管理会社であるオカダ・ホールディングスの支配権を息子たちに奪われる[2]。さらにそれを皮切りとして、富士本淳代表取締役社長らにより株主総会への出席を拒否され、ユニバーサルエンターテインメント取締役会長を解任された[5]

2018年8月、前述の20億円の資金取引をめぐってマネーロンダリングの嫌疑や[6]、賄賂に関する複数の容疑で香港の汚職取締機関である廉政公署(ICAC)に逮捕された後、保釈されたと発表された。2019年、大型カジノ施設「オカダマニラ」を運営するタイガー・リゾート・レジャー&エンターテインメント社のCEOとして310万米ドルの不正報酬を受け取ったとして、岡田和生に対してパラニャーケの裁判所が逮捕状を発行した[7]

2021年12月、フィリピン控訴裁判所は2019年にパラニャーケの裁判所が発行した逮捕状について、「(逮捕理由に必要な)推定事実が明らかに存在しないにもかかわらず」、「逮捕状を発行したことに重大な(司法)裁量権の乱用があった」とし、岡田和生の逮捕状の棄却を命じた[8]

2022年5月、「TIGER RESORT,LEISURE AND ENTERTAINMENT,INC.」が運営していた「オカダ・マニラ」を元取締役らと共謀して占拠し、TRLEI社の役職員数名の強制退去、従業員の不当解雇を強行し、以降、この岡田氏グループが同施設の運営・支配を続けていた[9]

2022年9月、フィリピンのカジノ運営公社「PAGCOR」が、岡田氏グループの同施設の運営管理権を認めないことを決定。ユニバーサルエンターテインメントグループが、フィリピン国家警察の支援を受けて決議命令を執行し、同施設の運営管理権を奪還した[9]

2022年10月、フィリピンの国家警察に逮捕された。

家族 編集

  • 弟・岡田友生(1942-2003) ‐ 双子の弟。米国ユニバーサル・ディストリビューティング・オブ・ネバダ社(UDN)社長。都立大学卒業後製薬会社栄研を経て、1976年にユニバーサル入社、1984年にUDNの社長に就任、日本のメーカーとして初めてネバダ州でゲーミング機の販売権を取得し最大メーカーに成長させたが、1989年の規制強化によりシェアを失い、1990年に社長を辞任し退職、2003年にスプリングバレー (ネバダ州)の自宅で自作したと思われるリシン (毒物)を注射して自殺した。[10][11]
  • 前妻・充子 ‐1998年に死去[1]
    • 長男・岡田知裕(1967年生) ‐ ユニバーサルエンターテイメント取締役。1991年ユニバーサル販売入社。2002年に取締役解任、2008年再任、2015年再解任。[1]
    • 長女・岡田裕実 [1]
  • 後妻・岡田幸子(たかこ、1973年生) ‐ ユニバーサルエンターテイメント取締役。1999年に結婚、2015年取締役就任。[1]

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集