岩倉 尚具(いわくら なおとも)は、江戸時代中期の廷臣。官位正五位下左兵衛佐(死後、従四位追贈)。号は現水院。

 
岩倉尚具
時代 江戸時代中期
生誕 元文2年4月20日1737年5月19日
死没 寛政11年1月7日1799年2月11日
諡号 現水院
官位 正五位下左兵衛佐従四位
主君 桜町天皇桃園天皇
氏族 植松家岩倉家
父母 父:植松賞雅、母:不詳
養父:岩倉恒具
兄弟 尚具広雅
養子:広雅
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経歴 編集

岩倉家の家督を継ぎ、宝暦5年(1755年)に正五位下、翌宝暦6年(1756年)に左兵衛佐に叙爵。養父・恒具と共に竹内式部に神道・儒学を学んでおり、宝暦8年(1758年)の宝暦事件の際に連座して処罰された。宝暦10年(1760年)に許されたが、すぐに弟・広雅を養子として家督を譲り隠居・出家した[1]。墓所は京都市北区霊源寺。

明治24年(1891年)、従四位を追贈された[2]

系譜 編集

脚注 編集

  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  2. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.6
先代
岩倉恒具
岩倉家
第7代
次代
岩倉広雅