岩崎 安治郎(いわさき やすじろう、1855年1月24日安政2年12月17日[1] - 1919年大正8年)4月29日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴 編集

大阪府出身[2]。農業を営む[2]大戸村(のち石切町枚岡市東大阪市)会議員、中河内郡会議員、同議長、大阪府会議員、中河内郡教育会副会長となる[2]

1912年第11回衆議院議員総選挙において大阪府郡部から中央倶楽部公認で立候補してトップ当選した[3]。衆議院議員を1期務め、1915年第12回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1919年に死去した。

脚注 編集

  1. ^ 衆議院『第二十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1912年、17頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』81頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』54頁。

参考文献 編集

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。