岩橋 辰也(いわはし たつや、1926年大正15年)11月30日[1] - 2024年令和6年)1月18日)は、日本政治家。(旧)都城市の元市長。

経歴 編集

宮崎県立都城商業学校(現宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)卒業。1948年、都城市役所に奉職。市長公室長・人事課長・農業委員会事務局長・水道局長・建設部長などを歴任。1977年4月都城市助役に就任。1984年12月、都城市長に初当選。その後2004年12月まで市長職を5期20年務める。都城北諸合併協議会の会長を務め、2006年に市町村合併により発足した(新)都城市の発足に大きく貢献した。

2004年12月、6期目を目指した都城市長選で35歳で元宮崎県議会議員の長峯誠に敗れる。岩橋は当時、九州最高齢の市長(77歳)で「多選」批判にもさらされており、若い長峯との一騎討ちは「世代間対決」とも形容された。ちなみに当選した長峯は全国最年少市長となった。

2006年、旭日中綬章受章[2]

2024年1月18日、急性腎不全のため都城市内の病院で死去[3]。97歳没。死没日付をもって従四位に叙された[4]

その他 編集

著書 編集

  • 『「心が元気」をプラス1』(1998年)

脚注 編集

  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、435頁。
  2. ^ 『官報』号外104号、平成18年5月1日
  3. ^ 【訃報】宮崎県都城市の元市長 岩橋辰也氏(97)死去 合併前の旧都城市長を5期20年務める”. MRT宮崎放送 (2024年1月22日). 2024年1月22日閲覧。
  4. ^ 『官報』第1171号8頁 令和6年2月29日


先代
瀧内正
(旧)都城市長
1984 - 2004
次代
長峯誠