市川 五郎兵衛(いちかわ ごろべえ、元亀3年(1572年) - 寛文5年9月9日1665年10月17日))は、戦国時代の武士、江戸時代前期の開拓者[1]、新田開発者[2]。諱は真親[1]。幼名は市左衛門[2]

経歴・人物編集

上野国甘楽郡羽沢村(現:群馬県南牧村)を本拠とする在地小領主(国衆)の家に生まれる[2]。曾祖父の市川右馬介真治は当初上杉憲政に従っていたが、北条氏康に敗北すると、甲斐国武田氏に仕えた。武田氏滅亡後、真親は帰農し信濃国佐久に移り住む[1]文禄2年(1593年)徳川家康から分国内の山金、川金、芝間開発免許の朱印状を得る。寛永年間(1624年 - 1644年)までに三河田新田、市村新田(共に現:長野県佐久市)と矢島新田(のちの五郎兵衛新田。現佐久市浅科)の三新田を開発し、その功を賞されて小諸藩から150石の褒美地を与えられた[2]

大正4年(1915年)の大正天皇即位に際して、従五位を遺贈された。現在でも佐久市の真親神社の祭神として祀られている。

脚注編集

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  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『市川五郎兵衛』 - コトバンク
  2. ^ a b c d 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『市川五郎兵衛』 - コトバンク

参考文献編集

  • 信州農村開発史研究所編 『水と村の証言 五郎兵衛新田物語』 1980年
  • 「郷土歴史人物事典 長野」第一法規 1978年

関連項目編集