常磐女学院

名古屋市東区の私立専修学校

常磐女学院(ときわじょがくいん)は、愛知県名古屋市東区代官町にあった私立の専修学校である。経営母体は松坂屋。昭和40年代から50年代にかけて中部地方最大の服飾専門学校として名を馳せた[1]。創立100年目に当たる2007年(平成19年)に閉校した。

常磐女学院
常磐女学院
地図北緯35度10分34.331秒 東経136度55分21.557秒 / 北緯35.17620306度 東経136.92265472度 / 35.17620306; 136.92265472座標: 北緯35度10分34.331秒 東経136度55分21.557秒 / 北緯35.17620306度 東経136.92265472度 / 35.17620306; 136.92265472
学校種別 私立
設置者 株式会社松坂屋
閉校年月日 2007年3月31日
所在地 461-0002
Portal:教育
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沿革 編集

 
いとう呉服店裁縫所(1921年)
 
常磐裁縫塾。洋裁(1938年)
 
常磐裁縫塾。和裁(1940年)

1907年(明治40年)3月14日、和裁裁縫の知識・技能養成を目的に名古屋市旧長島町3丁目に「いとう呉服店裁縫所」が設立される[2][3]。1910年(明治43年)、旧七曲町に移転。1929年(昭和4年)3月31日、東区久屋町1丁目に移転して学校組織の「常磐裁縫塾」となった[4][3]

1945年(昭和20年)3月19日、B-29爆撃機230機が名古屋市の市街地に対し大規模空襲を行った。中区中村区、東区などの市中心部は焼け野原となり、「常磐裁縫塾」も講堂一棟を残し焼失した[5]

1946年(昭和21年)4月1日、東区横代官町27番地(現・代官町30)に木造教室、2階建ての講堂、用務員室などを建設。同年5月20日、「常盤女学院」として再開した[5][6]

1964年(昭和39年)4月1日、デザイン科を開設。1965年(昭和40年)9月11日、恵那寮が竣工[5]

1977年(昭和52年)、専修学校の認可が下り「家政専門学校常磐女学院」となった[3]。2002年(平成14年)4月1日、「ファッション専門学校常磐女学院」と改称[7]

2007年(平成19年)3月31日、閉校[3]。財務体質の改善を図る松坂屋はこの年、大丸と経営統合し、9月3日に共同持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」を設立した。常磐女学院の跡地は売却され、現在は大型の分譲マンションが建っている[8]

学科など 編集

昼間部と夜間部があった。学科は洋裁科(文化式、ドレメ式)、和裁科、デザイン科、編物科。課程は本科、専攻科、研究科、高等研究科。調和のとれた広い教養を身につけるとともに、近代女性にふさわしい服飾研究の場を目指したとされる[6]

1976年(昭和51年)時点の学生数は昼間部2,100人、夜間部200人。卒業生はその当時で3万1,000人を数えた[6]

著名な卒業生 編集

脚注 編集

  1. ^ その四十八 常磐女学院は松坂屋の経営だった!”. 松坂屋名古屋店 (2021年2月16日). 2023年2月2日閲覧。
  2. ^ (株)松坂屋『松坂屋百年史』(2010.02)”. 渋沢社史データベース. p. 13. 2017年12月23日閲覧。
  3. ^ a b c d 「常磐女子裁縫学園」について知りたい。”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館 (2011年9月8日). 2017年12月23日閲覧。
  4. ^ (株)松坂屋『松坂屋百年史』(2010.02)”. 渋沢社史データベース. p. 31. 2017年12月23日閲覧。
  5. ^ a b c 『常磐』 1976, pp. 38–39.
  6. ^ a b c 中日新聞社開発局編『愛知百科事典』中日新聞社、1976年10月5日、558頁。 
  7. ^ (株)松坂屋『松坂屋百年史』(2010.02)”. 渋沢社史データベース. p. 130. 2017年12月23日閲覧。
  8. ^ “松坂屋HDが「常磐女学院」跡地売却へ”. 中部経済新聞. (2007年8月10日). http://www.chukei-news.co.jp/news/200708/10/articles_3763.php 2017年12月23日閲覧。 

参考文献 編集

  • 創立70周年記念誌編集委員会編『常磐』常磐女学院、1976年5月15日。