平島型敷設艇[12](ひらしまがたふせつてい)は、日本海軍敷設艇。同型艦10隻(うち1隻建造取り止め)[注釈 7]

平島型敷設艇
「新井埼」(1942年8月31日)[1]
「新井埼」(1942年8月31日)[1]
基本情報
種別 敷設艇
運用者  大日本帝国海軍
同型艦 9隻
計画数 10隻
前級 測天型敷設艇
次級 網代型敷設艇
要目 (計画)
基準排水量 720英トン[2]
公試排水量 750.00トン[2]
満載排水量 769.55トン[2][注釈 1]
全長 74.70m[2]
水線長 73.30m[2]
垂線間長 69.50m[2]
最大幅 7.85m[2]
水線幅 7.85m[2]
深さ 4.57m[2][注釈 2]
吃水 公試平均 2.60m[2][注釈 3]
満載平均 2.64m[2][注釈 1]
主機 マン式3号10型(単動4サイクル10筒[3])ディーゼル2基[4]
推進器 2軸 x 320rpm[3]
推進器直径2.000m[3]、ピッチ2.490m[5]
出力 3,600馬力[3][注釈 4]
速力 20ノット[2]
航続距離 2,000カイリ / 14ノット[2]
燃料 重油 35.00トン[2]
乗員 計画乗員 67名[6]
(必要に応じて85名まで増員)[6]
兵装 40口径八八式8cm高角砲C型 1基[8]
九三式13mm連装二型機銃 1基2挺[8]
九四式爆雷投射機1基、三型爆雷装填台1基[9][注釈 5][注釈 6]
爆雷投下台 水圧投下三型2基、手動投下一型8基[9]
爆雷軌道1本[9]
爆雷36個[9]
九三式機雷120個[4]か五号機雷130個か九二式機雷(管制機雷[10])18組[9]
(または九六式2号防潜網2組か一四式捕獲網8組)[9]
搭載艇 6m内火艇1隻、6mカッター2隻[7]
ソナー 九三式水中聴音機1組[11]
九三式探信儀三型1組[11]
特殊装備 小掃海具一型改一 2組[9]
一型水中処分具2個[9]
二号爆雷鈎改一 10個[9]
掃海立標8個[9]
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概要

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昭和14年度(1939年)から着手する④計画に於いて[13]、艦齢の高い測天(初代)型10隻[注釈 8]の代艦として要求され[14]、10隻(1隻当たり2,660,000円)の予算が成立した[15]。10隻は仮称「第170号艦」から「第179号艦」とされ[16]、うち9隻が1940年(昭和15年)から1943年(昭和18年)に竣工している[17]

大戦中は本来の要港防衛や機雷敷設などに加え、 近海の船団護衛も行い好評だった[18]

艦型

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計画番号H11B[2]。前型の測天型敷設艇(計画番号H11[2])とほぼ同一の艦型だが[18]、その実績を取り入れて、細部にわたって色々な改善が行われた[12]

測天型で搭載した毘式40mm単装機銃は、潜水艦の内殻に有効な被害を与えることが出来ないことが実験で判り、代わりに8cm高角砲1基を搭載した[12]

対潜装備として水中聴音機水中探信儀を竣工時から装備した(測天型の計画では搭載を考慮したのみ)[12]。補音機近くの外板表面をなるべく平滑にするなどの対策が行われた[19]が、それでも航走中はほとんど使えずに停止聴音を前提としていた[12]

船体は測天型より深さを20mm増している[2][12]。「一般計画要領書」によると測天型の搭載機雷は九三式機雷のみだったが、平島型では九三式機雷の他に五号機雷や九二式機雷も搭載できた[9]。また掃海装備の搭載も計画された[9]

爆雷投射機は計画では九四式投射機1基だが[9]、竣工時は爆雷投射機2基[注釈 5]、または三式投射機4基とする文献もある[注釈 6]

大戦中の船団護衛では航続力の不足が指摘され[20]、機械室後部のバラストタンクを重油タンクに改造して重油約17トンを増載、14ノットで4,000海里まで航続力を伸ばした[19]1944年(昭和19年)以降は機銃などの増備がなされたらしく、「済州」の例では25mm連装機銃4基(13mm機銃は撤去)、同単装7基、計15艇を最終的に装備した[20][21]レーダー22号電探1基を装備した[20][22]。「怒和島」では22号電探に代わり13号電探を装備したという[21]。「怒和島」は九四式爆雷投射機も1基から2基に増備しているという[21][注釈 9]

分類について

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一般計画要領書[2]や『海軍造船技術概要』では平島以降の10隻(うち1隻は建造取り止め)を平島型としている[12]。 一方、公的な分類(特務艇類別等級表[23]、1944年2月からは艦艇類別等級表[24])や『日本海軍護衛艦艇史』では平島型という分類(類別)は無く、(網代を除いて)全て測天型としている[4]

『写真日本の軍艦第14巻』で東清二は、測天型の解説内で④計画艦(いわゆる平島型)について、

このため、本型を一番艇の平島から平島型と称して、先の測天型と区別しているむきもあるが、基本的に同型艇と見てよい。(中略)なお、④計画についでマル急計画において、本型一四隻の建造が予定されていたが、(中略)網代のみが昭和十九年七月に完成した。従って測天型の同型艇は一五隻を数え、(以下略)
東清二、写真日本の軍艦第14巻p.94

としており、測天型5隻、平島型9隻、網代の計15隻は実質的に同型としている[20]

網代型

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開戦直前のマル急計画で敷設艇は14隻、さらに改⑤計画で12隻の建造が計画されたが、マル急計画艦の「網代」のみ竣工しその他は全て建造取り止めとなった[25]。計画番号はH13[2][26]。測天型(H11)、平島型(H11B)[2]とは本来違う系列で、改⑤計画艦ではタービン搭載も伝えられる[26]。結局「網代」は平島型とほぼ同じ艦型で計画され[27]、実質的には測天や平島と同型となった[20]。公的な分類(艦艇類別等級表)では網代型と別型に分類されている[28]

同型艦

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平島(ひらしま)[29]
1940年(昭和15年)12月24日竣工(三菱重工業横浜船渠[29])[30]1943年(昭和18年)7月28日戦没(五島列島沖、米潜)[31]
澎湖(ほうこ)[32]
1941年(昭和16年)12月20日竣工(玉造船所[32])[30]。1943年(昭和18年)9月28日戦没(ブカ島沖、航空機)[31]
石埼(いしざき)[33]
1942年(昭和17年)2月28日竣工(三菱重工業横浜船渠[33])[30]大湊で終戦[31]。掃海艦として使用ののち1947年(昭和22年)10月1日米国へ引き渡し、青島へ回航[31]
鷹島(たかしま)
1942年(昭和17年)3月25日竣工(日本鋼管鶴見造船所[32])[30]1944年(昭和19年)10月10日戦没(名護湾、艦載機)[31]
済州[34](さいしゅう)
1942年(昭和17年)4月25日竣工(大阪鉄工所[32])[30]佐世保方面で終戦[31]。復員輸送ののち1947年(昭和22年)10月3日中国へ引き渡し[31]
新井埼(にいざき/にゐざき)[35]
1942年(昭和17年)8月31日竣工[31](玉造船所[35])。大湊で終戦[31]1945年(昭和20年)10月4日室蘭沖で触雷大破、翌日除籍[31]
由利島(ゆりじま)[36]
1942年(昭和17年)11月30日竣工[31]。(日本鋼管鶴見造船所[36])。1945年(昭和20年)1月14日戦没(マレー半島沖、米潜コウビア)[31]
怒和島(ぬわじま)[36]
1942年(昭和17年)11月15日竣工[31]。(大阪鉄工所[36])。1945年(昭和20年)4月30日佐伯湾にて航空機の攻撃を受け大破かく座[31]
前島(まえじま)[37][注釈 10]
1943年(昭和18年)7月31日竣工[31](日本鋼管鶴見造船所[37])。1944年(昭和19年)10月21日戦没(ルソン島西岸、航空機)[31]
諸島(もろしま)[38]
④計画の最終艇[39]。仮称「第179号艦」、艦名を「諸島」と仮定[38]。日立造船で建造を予定していたが、起工前に建造取り止め[39]

脚注

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注釈

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  1. ^ a b #一般計画要領書(敷設艇)p.40の平島型(平島)復元性能の計画値は満載排水量769.60トン、平均吃水2.63mになっている。
  2. ^ #写真日本の軍艦第14巻pp.94-95の『敷設艇、電纜敷設艇、敷設特務艇』要目(新造時を示す)では深さ4.55mとしているが、間違いと思われる。
  3. ^ #一般計画要領書(敷設艇)p.40の平島型(平島)復元性能の計画値は公試平均吃水2.59mになっている。
  4. ^ #一般計画要領書(敷設艇)p.3では3,500馬力になっている。
  5. ^ a b #写真日本の軍艦第14巻pp.94-95の『敷設艇、電纜敷設艇、敷設特務艇』要目(新造時を示す)では爆雷投射機2基としている。
  6. ^ a b 阿部安雄=作成、福井静夫=協力(1994.0.1調整)主要艦艇要目表#日本海軍全艦艇史資料篇p.55では三式投射機4基としている。
  7. ^ 艦艇及特務艦艇類別等級別表では、網代以外は「測天型」に、網代は「網代型」に分類されている。
  8. ^ 黒島、戸島、加徳、芦崎、黒神、円島、片島、江之島、似島、黒崎の10隻(#戦史叢書31海軍軍戦備1p.548)
  9. ^ #写真日本の軍艦第14巻p.94では『「済州」の例では、(中略)爆雷投射機を四基に強化している。』と書かれているが、「あ号作戦後の兵装装備の状況調査」(#日本補助艦艇物語p.365)によると「済州」は爆雷投射機を増備しておらず、測天型、平島型の九四式爆雷投射機は最大2基まで。
  10. ^ #日本補助艦艇物語p.132、#銘銘伝2014p.554では読みを「まえしま」としているが、昭和18年達第111号によると「まえじま」が正。

出典

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  1. ^ #日本海軍護衛艦艇史(1996)p.92。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t #一般計画要領書(敷設艇)p.3
  3. ^ a b c d #一般計画要領書(敷設艇)p.21
  4. ^ a b c #日本海軍護衛艦艇史(1996)p.88。
  5. ^ #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1716
  6. ^ a b #一般計画要領書(敷設艇)p.24
  7. ^ #一般計画要領書(敷設艇)p.27
  8. ^ a b #一般計画要領書(敷設艇)p.6
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m #一般計画要領書(敷設艇)p.9
  10. ^ 高須廣一「技術面からみた日本海軍護衛艦艇の発達 3.兵装」●機雷、第6表機雷#日本海軍護衛艦艇史(1996)pp.164-165
  11. ^ a b #一般計画要領書(敷設艇)p.18
  12. ^ a b c d e f g #海軍造船技術概要(1987)上巻p.662
  13. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.535
  14. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.548
  15. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.565
  16. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.563-564
  17. ^ 作成:阿部安雄「日本海軍補助艦艇要目表」VII小艦艇、#日本補助艦艇物語pp.384-385
  18. ^ a b #日本補助艦艇物語pp.132-133
  19. ^ a b #海軍造船技術概要(1987)上巻p.663
  20. ^ a b c d e #写真日本の軍艦第14巻p.94
  21. ^ a b c 「あ号作戦後の兵装装備の状況調査」#日本補助艦艇物語p.365、図68-70、同書pp.368-369「あ号作戦後の補助艦艇兵装状況一覧表」
  22. ^ #日本海軍全艦艇史下巻p.844写真No.2649、戦後の写真とその解説。
  23. ^ #S15.6.25内令提要原稿/艦船画像13、特務艇類別等級表
  24. ^ #自S19.1至19.7内令/昭和19年2月(1)画像1、『内令第二百七十一號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年二月一日 海軍大臣嶋田繁太郎 驅潜艇ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ | 敷設艇 | (等級空白) | (艦(艇)型空白) | 燕、鴎、夏島、猿島、那沙美 | | (同左、敷設艇) | (等級空白) | 測天型 | 測天、白神、巨済、成生、石埼、鷹島、済州、新井埼、由利島、怒和島、前島 |』
  25. ^ #海軍造船技術概要(1987)上巻p.664
  26. ^ a b #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1600、新艦船主要要目一覧表(其の二) 昭和18年9月1日 艦本總二課。
  27. ^ #一般計画要領書(敷設艇)p.3「註. 上記計画ハ(以下記載ノモノモ同様)急速建造艦ニシテ第一七〇号艦ノ計画ヲ其ノ侭使用ス.」第一七〇号艦は平島のこと。
  28. ^ #自S19.1至19.7内令/昭和19年3月(1)画像32、昭和19年3月15日附内令第437号『敷設艇、測天型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ | 網代型 | 網代 |』(妙録)
  29. ^ a b #S15.1-12達/5月画像1『達第九十三號 艦底製造費ヲ以テ昭和十四年度ニ建造ニ着手ノ潜水艦一隻及敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年五月一日 海軍大臣 吉田善吾 佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十九潜水艦 三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 敷設艇 平島(ヒラシマ)』
  30. ^ a b c d e #S17.6.30内令提要原稿/機密保護画像23「艦船要目公表範囲」
  31. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 伊達久「『敷設艇・電纜敷設艇』行動年表」#写真日本の軍艦第14巻pp.105-111
  32. ^ a b c d #S16.7-12達/8月画像10-12『達第二百四十六號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦一隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻、敷設艇五隻及魚雷艇三隻ニ左ノ通命名ス 昭和十六年八月五日 海軍大臣及川古志郎 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 巻雲(マキグモ) 佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十三潜水艦 株式會社石川島造船所ニ於テ建造 第二十號掃海艇 株式會社大阪鉄工所ニ於テ建造 第二十四號掃海艇 株式會社玉造船所ニ於テ建造 敷設艇 澎湖(ホウコ) 日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 敷設艇 鷹島(タカシマ) 株式會社大阪鉄工所ニ於テ建造 敷設艇 済州(サイシユウ) 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第一號敷設艇 第二號敷設艇 株式會社横濱「ヨット」工作所ニ於テ建造 第四號魚雷艇 第五號魚雷艇 第六號魚雷艇』
  33. ^ a b #S16.1-6達/6月画像55-56『達第二百十九號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ水上機母艦一隻、驅潜艇一隻、敷設艇一隻及魚雷艇三隻ニ左ノ通命名ス 昭和十六年六月三十日 海軍大臣及川古志郎 川崎重工業株式會社ニ於テ建造 水上機母艦 秋津洲(アキツシマ) 株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十三號驅潜艇 日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 第二十六號驅潜艇 三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 敷設艇 石埼(イシザキ) 株式會社横濱ヨット工作所ニ於テ建造 第一號魚雷艇 第二號魚雷艇 第三號魚雷艇』
  34. ^ 昭和16年8月5日付 海軍達 第246号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070110700 で閲覧可能。済洲ではない。
  35. ^ a b #S17.1-12達/1月画像24-25『達第十八號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、潜水艦四隻、掃海艇一隻、敷設艇二隻及掃海特務艇三隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年一月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎 三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 涼月(スズツキ) 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 一等驅逐艦 高波(タカナミ) 三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第百七十八潜水艦 横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第百八十潜水艦 川崎重工業株式會社ニ於テ建造 呂號第百一潜水艦 呂號第百二潜水艦 株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十一號掃海艇 株式會社玉造船所ニ於テ建造 敷設艇 新井埼(ニヰザキ) 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第四號敷設艇 株式會社大阪鉄工所ニ於テ建造 第三號掃海特務艇 第五號掃海特務艇 浪花船渠株式會社ニ於テ建造 第四號掃海特務艇』
  36. ^ a b c d #S17.1-12達/4月(2)画像3-4『達第百十一號 昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ潜水艦七隻、驅潜艇二隻、運送艦一隻及敷設艇二隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年四月八日 海軍大臣 嶋田繁太郎 佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十八潜水艦 伊號第三十九潜水艦 川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第百七十九潜水艦 呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第百八十一潜水艦 呂號第百六潜水艦 呂號第百七潜水艦 横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第百八十二潜水艦 日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 第三十二號驅潜艇 敷設艇 由利島(ユリジマ) 株式會社玉造船所ニ於テ建造 第三十三號驅潜艇 株式會社大阪鉄工所ニ於テ建造 運送艦 早埼(ハヤサキ) 敷設艇 怒和島(ヌワジマ)』
  37. ^ a b #S18.1-8達/2月(1)画像3-4『達第十六號 昭和十六年度及昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦六隻、海防艦一隻、掃海艇一隻、特務艦一隻及特務艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十八年二月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 涼波(スズナミ) 海防艦 福江(フカエ) 横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十四潜水艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十五潜水艦 三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 呂號第四十潜水艦 三井造船株式會社玉工場ニ於テ建造 呂號第四十六潜水艦 川崎重工業株式會社ニ於テ建造 呂號第百十二潜水艦 呂號第百十三潜水艦 株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十七號掃海艇 株式會社大阪鉄工所ニ於テ建造 特務艦 荒埼(アラサキ) 敷設艇 前島(マエジマ)』
  38. ^ a b #銘銘伝2014p.559
  39. ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1p.580

参考文献

編集
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 『日本海軍護衛艦艇史』 世界の艦船 1996年2月号増刊 第507集(増刊第45集)、海人社、1996年2月。ISBN 4-905551-55-2 
  • 福井静夫『日本補助艦艇物語』 福井静夫著作集第10巻、光人社、1993年12月。ISBN 4-7698-0658-2 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 牧野茂福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4 
  • 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』光人社、1990年9月。ISBN 4-7698-0464-4 
  • 「敷設艇 一般計画要領書 附現状調査」。 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和15年1月~12月 達/5月』。Ref.C12070107100。 
    • 『昭和16年1月~6月 達/6月』。Ref.C12070109800。 
    • 『昭和16年7月~12月 達/8月』。Ref.C12070110700。 
    • 『昭和17年1月~12月 達/1月』。Ref.C12070114100。 
    • 『昭和17年1月~12月 達/4月(2)』。Ref.C12070114700。 
    • 『昭和18年1月~8月 達/2月(1)』。Ref.C12070118200。 
    • 『自昭和19年1月 至昭和19年7月 内令/昭和19年2月(1)』。Ref.C12070194400。 
    • 『自昭和19年1月 至昭和19年7月 内令/昭和19年3月(1)』。Ref.C12070194700。 
    • 『昭和15年6月25日現在 10版 内令提要追録第7号原稿/巻3 追録/第13類 艦船』。Ref.C13071990500。 
    • 『昭和17年6月30日現在10版内令提要追録第11号(中)原稿/第6類機密保護』。Ref.C13072007500。