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平田 内蔵吉(ひらた くらきち、1901年 - 1945年)は、日本の医学者(民間療法家)、詩人兵庫県赤穂市出身。弟の平田晋策は『新戦艦高千穂』などの作品がある戦争小説家。長男の平田穂生シナリオライター。孫の平田オリザ劇作家である。

略歴編集

  • 薬種商であった平田夫平・静夫妻の長男として誕生。
  • 1925年 京都大学医学部入学。在学中に義母が胆石症を患ったが、加藤幾太郎の無痕灸(温熱瞬間療法)を受け約2週間で全治したことで鍼灸の道へ進む。
  • 1927年 加藤幾太郎の大日本温熱療法研究所に入所。
  • 1930年 独自の温熱療法である平田式心理療法(熱針術)を提唱し、後にヘンリー・ヘッドが提唱したヘッド帯を発展させ、古来の東洋医学の経絡経穴の比較検討により「平田式体表十二反応帯」(平田氏帯)を提唱する。
  • 1936年 肥田春充と出会い、肥田式強健術を学び、新たな操練法(経絡式中心操練法)を考案した。そして肥田と共同で経絡式中心操練法を「国民体育」として発表した。
  • 1944年 8月応召。1945年沖縄県大里村にて戦死。

その他、民間療法の他に、坐の哲学と日本精神の真髄を追究したり、吉凶判断も研究したりしていた。 平田は、自らが創始した療法体系を「皇方医学」(皇法医学)と名付けた。平田に学んだ奥山龍峰 (初代)が開いた八光流柔術に「皇方医学」(皇法医学)や吉凶判断は受け継がれたが、八光流の皇方医学は、指圧を中心に、整骨法、体操(護身体操、脊椎運動法)などのみで、平田の皇方医学の全てを伝えていない。

主な著作編集

  • 民間治療全集
  • 『大君の詩』山雅房、1939
  • 『考へる人』山雅房、1939
  • 『美はしの苑』山雅房、1940