幽王(ゆうおう)は、中国戦国時代の王(在位:紀元前237年 - 紀元前228年)。考烈王の子とされる[1]が、実父は春申君だとも言われる[2]

幽王 熊悍
王朝
在位期間 前237年 - 前228年
都城 寿春
姓・諱 熊悍
諡号 幽王
没年 幽王10年(前228年
考烈王春申君の説あり)
李環(李園の妹)

生涯編集

考烈王25年(紀元前238年)、父の考烈王が逝去すると、母の兄の李園は春申君の食客であったが、年老いた春申君を暗殺して、公子悍を即位させて自らは宰相となった。

幽王3年(紀元前235年)、楚はの連合軍に攻められた[3]

幽王10年(紀元前228年)、幽王は在位10年で逝去した[3]

脚注編集

  1. ^ 史記』楚世家。
  2. ^ 『史記』春申君列伝
  3. ^ a b 『史記』楚世家
先代
考烈王
前237年 - 前228年
次代
哀王