庭田 重嗣(にわた しげつぐ)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿権大納言庭田重熈の子。官位従一位・権大納言兼按察使

 
庭田重嗣
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦7年1月30日1757年3月19日
死没 天保2年4月5日1831年5月16日
改名 重嗣→祐真(法名)
官位 従一位権大納言
主君 後桃園天皇光格天皇仁孝天皇
氏族 庭田家
父母 父:庭田重熈、母:唐橋在廉の娘
兄弟 重嗣綾小路俊資、孝嗣、条子、娘二人
高倉永範の娘
重能
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経歴

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安永5年(1776年)1月5日、従三位に叙せられ、文政3年(1820年)6月15日には従一位となる。文政7年(1824年)3月14日に出家し、祐真と号する。

天保2年(1831年)、薨去。享年75。

系譜

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