建部政世
建部 政世(たけべ まさよ)は、江戸時代後期の大名。播磨国林田藩の第10代(最後)の藩主。官位は従五位下・内匠頭。
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 安政元年12月10日(1855年1月27日) |
死没 | 明治10年(1877年)6月16日 |
改名 | 三二郎、政世 |
墓所 | 京都市北区紫野の大徳寺芳春院 |
官位 | 従五位下・内匠頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家茂→慶喜→明治天皇 |
藩 | 播磨林田藩主 |
氏族 | 建部氏 |
父母 | 父:建部政和(名目上:建部政醇)、母:不詳 |
略歴
編集第9代藩主・建部政和の長男として誕生したが、祖父の8代藩主・建部政醇の三男とされた。幼名は三二郎。
文久3年(1863年)4月18日、政和の死去により家督を継いだ。慶応3年(1867年)12月20日、上洛する。慶応4年(1868年)1月15日、新政府から華頂宮博経親王などの警備を命じられる。また、戊辰戦争では新政府側に与して、姫路藩征伐に参加した。明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還で知藩事に就任した。明治4年(1871年)8月18日、廃藩置県により免官となる。明治5年(1872年)7月3日、叔父の揆に家督を譲った。なお、建部家への子爵叙爵は明治17年(1884年)、叔母婿の建部秀隆の代になされた。
明治10年(1877年)6月16日、24歳で死去した。墓所は京都市北区紫野の大徳寺芳春院。
当主 | ||
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先代 建部政和 |
林田藩建部家 1863年 - 1872年 |
次代 建部揆 |