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弘山 勉(ひろやま つとむ、1966年10月12日 - )は日本陸上競技の元選手で、中距離走長距離走マラソン選手の指導者栃木県真岡市出身。2015年4月1日付より、筑波大学陸上競技部・長距離走のコーチを担当。かつて2007年4月1日 - 2013年3月31日付まで、資生堂ランニングクラブの監督業を務めていた。

妻は同じく元資生堂ランニングクラブ所属の陸上競技選手・アスリートアドバイザーを担当し、オリンピックでは3大会連続で出場した弘山晴美(旧姓・鈴木)。現在1児の父。

経歴編集

山前中学校在学時は、野球部に所属しポジションは投手であった。しかし、中学のマラソン大会で上位に入ったのをきっかけに、真岡高等学校入学後は陸上競技部へ転向する。真岡高校時代は主に中距離ランナーとして活動。同高校3年生時には全国高校駅伝競走の2区・3Kmに出場した(区間7位・総合13位)。

高校卒業後は、筑波大学の体育専門学群へ進学。筑波大学在学中は陸上部・長距離ランナーとして、箱根駅伝競走へは4年連続出場するなどで活躍。特に同大学2年生時は9区を担当し区間2位を記録、大学4年生時は長距離部門の主将になり、花の2区(区間12位)を出走した。

大学卒業後、1989年(平成元年)4月に資生堂に入社。マラソンのトレーニングを独学でおこない、入社すぐの翌1990年2月の別府大分毎日マラソンで3位、同年12月の福岡国際マラソンでは自己ベスト記録で2位などの実績をあげる。日本男子マラソン界では待望されていた、瀬古利彦宗兄弟中山竹通谷口浩美らの次の世代のエース候補として将来を嘱望されたが、独学の限界ならびに故障等もあって実力を発揮出来ず、その後脚光を浴びることは無かった。

現役引退後は、資生堂RCのコーチに就任し、のち同RC監督となった。1993年2月には当時同じく資生堂の所属選手だった弘山晴美と結婚し、「弘山晴美選手のコーチでもある夫の勉さん」としても有名となる。指導者になってからも、独学で築いた彼のマラソン理論はさらに探求され、その手腕は妻・晴美の長きに渡る活躍で実証されていた。

2009年3月に妻・晴美が陸上競技選手として引退表明の時、夫婦二人揃って記者会見に臨んでいた。その約1年後の2010年3月に長女が誕生。しかし、2012年末の全日本実業団女子駅伝などでのレース成績が振るわない事の責任を取り、翌2013年3月、妻・晴美と共に長年所属した資生堂を退社した。

2014年10月より、EVOLUアスリートクラブ代表及びアスリートLabスタッフとして、アスリート及び市民ランナーへのランニング指導活動を開始。翌2015年4月からは、母校・筑波大学の陸上部コーチに就任(任期5年)、かつて箱根駅伝の常連校だった同大学の名門復活を目指す。

自己ベスト記録編集

マラソン成績編集

  • 1,2時間33分33秒  42位 89びわ湖毎日
  • 2,2時間12分48秒  3位 90別府大分毎日
  • 3,2時間21分13秒  7位 90ゴールドコースト
  • 4,2時間11分37秒  2位 90福岡国際(日本人最上位・生涯自己記録)
  • 5,2時間23分19秒 140位 91ワールドカップ・ロンドン大会
  • 6,2時間26分21秒  39位 92東京国際
  • 7,2時間16分01秒  21位 94福岡国際
  • 8,2時間28分38秒  22位 95北海道
  • 9,2時間16分16秒  20位 96東京国際
  • 10,2時間16分14秒  14位 96福岡国際
  • 11,2時間24分17秒  25位 97東京国際
  • 12,2時間18分19秒  26位 97福岡国際
  • 13,2時間19分42秒  31位 99びわ湖毎日

著書編集

外部リンク編集