メインメニューを開く

谷口 浩美(たにぐち ひろみ、男性、1960年4月5日 - )は、元マラソン選手、指導者。宮崎県南那珂郡南郷町(現日南市)出身。宮崎県立小林高等学校-日本体育大学体育学部体育学科卒。TOSS PLANNING所属。東京電力長距離・駅伝チーム監督、東京農業大学陸上競技部助監督を歴任し、現在は宮崎大学特別教授。

谷口 浩美 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム たにぐち ひろみ
ラテン文字 Hiromi Taniguchi
国籍 日本の旗 日本
種目 長距離走マラソン
生年月日 (1960-04-15) 1960年4月15日(59歳)
生誕地 宮崎県南那珂郡南郷町(現日南市
身長 171cm
体重 55kg
自己ベスト
5000m 13分49秒17(1989年)
10000m 28分34秒18(1989年)
マラソン 2時間07分40秒(1988年)
 
獲得メダル
陸上競技
世界陸上競技選手権大会
1991 東京 男子マラソン
アジア競技大会
1986 ソウル 男子マラソン
編集 テンプレートのヘルプを表示する

マラソンの自己最高記録は 2時間7分40秒(1988年・北京国際マラソン)で、日本男子歴代11位。

経歴編集

学生時代編集

小林高校では1976年-1978年全国高等学校駅伝競走大会(全国高校駅伝)に3年連続出場、1年次は区間14位と不本意な走りに終わったが[1]、2-3年次はいずれも区間2位の成績で同校の2連覇に貢献した。

日本体育大学進学後には箱根駅伝(57回〜59回)で2年次より3年連続で6区を走り、いずれも区間賞を獲得した。特に3-4年次には当時の区間記録を2年連続で更新して「山下りのスペシャリスト」と呼ばれ、1983年第59回大会での日体大総合優勝9回目の原動力として活躍した[2]

元々は高校教員を目指しており、大学陸上を最後に現役選手を辞めるつもりだったが、教員採用試験で不合格となり、再受験準備のため旭化成に2年間だけ在籍という約束で入社する[3]

実業団選手時代編集

旭化成陸上部では、1985年別府大分毎日マラソンで初マラソン初優勝を達成。その後、再び教員採用試験に臨むも不合格となり、やむなく現役続行を決意[3]するが、1987年東京国際マラソン優勝、ロンドンマラソン優勝など更に活躍を続ける。しかし1987年の福岡国際マラソン(翌1988年ソウルオリンピック男子マラソン代表選考レース)では優勝した中山竹通のハイペースについてゆけず6位と完敗。1988年の東京国際マラソンで選考レースに再挑戦するも、レース前に嘔吐する体調不良も響いて9位に敗れ、ソウル五輪代表には選出されなかった。

しかし1988年10月の北京国際マラソンでは優勝したアベベ・メコネンに僅か5秒及ばなかったが、マラソン自己ベスト記録となる2時間7分40秒の世界歴代7位(当時)で準優勝を果たした。1989年には東京国際マラソン優勝、北海道マラソン優勝、1990年にもロッテルダムマラソンで優勝など好成績を残した。

1991年9月に開催された世界陸上東京大会男子マラソンは気温30度を超す高温多湿の過酷なコンディションとなり、中山竹通やメコネンら60人中24人が途中棄権する中[2]、谷口は38km過ぎからスパートして先頭集団を抜け出し、2位のアーメド・サラに29秒差をつけ1位でゴール。日本人選手として世界陸上大会史上初の金メダルを獲得した。2018年現在、世界陸上選手権で優勝した日本人男子選手は谷口と室伏広治だけである。[4]

1992年バルセロナオリンピック男子マラソンでは優勝候補の1人とされていたが、20km過ぎの給水地点で後続選手に左足シューズの踵を踏まれて転倒し、さらにシューズが脱げて履き直すアクシデント[5]に見舞われ30秒余りのタイムロスを負った[6]ことが大きく影響し、優勝争いから脱落。しかしレース後半で順位を上げ、結果8位入賞を果たした。ゴール後のインタビューで、苦笑いを浮かべつつも「途中で、こけちゃいました」「これも運ですね。精いっぱいやりました。」とコメントした[3][7]

以降のフルマラソン出場レースでは優勝を果たせなかったものの、これまでの実績が評価されて1996年アトランタオリンピックに五輪二大会連続出場を果たし、選手団主将も務めた。しかし同五輪の男子マラソンは日本人トップではあったが、入賞争いには絡めず19位に終わった。

現役引退後編集

1997年に現役を引退、旭化成陸上競技部コーチとなり指導者への道を歩む。1999年にヘッドコーチに昇格。

2001年沖電気陸上競技部(2009年3月に廃部)に移り助監督、2002年に監督に就任した。

2008年4月より、東京電力 長距離・駅伝チーム監督に就任。2009年には同チームを全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)初出場に導いた。2010年9月末をもって、同チームの監督を退任した[8]

2011年4月1日、東京農業大学の陸上競技部助監督として就任。また同大学の国際食料情報学部准教授へ就任。2012年1月末をもって、同大の陸上競技部助監督および准教授を退任した。

2017年8月1日、宮崎大学の特別教授に就任した。

主な成績編集

駅伝編集

  • 1976年 第27回 全国高等学校駅伝競走大会(全国高校駅伝) 3区 区間14位(25分58秒)[1]
  • 1977年 第28回 全国高校駅伝 3区 区間2位(25分04秒)
  • 1978年 第29回 全国高校駅伝 1区 区間2位(30分34秒、1位と同タイム)
  • 1981年 第57回 東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝) 6区 区間1位(59分33秒)
  • 1982年 第58回 箱根駅伝 6区 区間1位(58分04秒・当時区間新記録)
  • 1983年 第59回 箱根駅伝 6区 区間1位(57分47秒・当時区間新記録)

マラソン編集

年月 大会名 タイム 順位 備考
1985.02 別府大分毎日マラソン 2:13:16 優勝  
1985.12 福岡国際マラソン 2:10:01 2位  
1986.02 東京国際マラソン 2:11:42 7位  
1986.10 ソウルアジア競技大会 2:10:08 2位  
1987.02 東京国際マラソン 2:10:06 優勝  
1987.05 ロンドンマラソン 2:09:50 優勝  
1987.12 福岡国際マラソン 2:12:14 6位  
1988.02 東京国際マラソン 2:13:16 9位  
1988.10 北京国際マラソン 2:07:40 2位 自己最高記録、当時世界歴代7位
1989.03 東京国際マラソン 2:09:34 優勝  
1989.08 北海道マラソン 2:13:16 優勝 当時大会最高記録 
1990.04 ロッテルダムマラソン 2:10:56 優勝  
1991.02 東京国際マラソン 2:11:55 9位  
1991.09 世界陸上競技選手権大会東京大会 2:14:57 優勝 世界陸上で日本人初の金メダル 
1992.08 バルセロナ五輪 2:14:42 8位 日本男子初の五輪代表3選手全員入賞
1993.04 ボストンマラソン 2:11:02 4位
1994.04 ロッテルダムマラソン 2:10:46 5位
1995.03 びわ湖毎日マラソン 2:11:51 4位
1995.12 福岡国際マラソン 2:10:42 7位
1996.08 アトランタ五輪 2:17:26 19位
1997.02 東京国際マラソン 2:11:26 4位  

著書編集

脚注編集

  1. ^ a b 九州アマ列伝20 小林高 谷口浩美”. 西日本新聞 (2004年11月17日). 2009年8月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月6日閲覧。
  2. ^ a b “山下り育ちの「金」…谷口浩美”. 読売新聞. (2013年11月1日). https://www.yomiuri.co.jp/sports/ekiden/2014/feature/20131101-OYT8T00320.htm 2018年12月5日閲覧。 
  3. ^ a b c “「コケちゃいました」「今まで生きていた中で一番幸せ」バルセロナ五輪で生まれた2つの名言”. スポーツ報知. (2018年6月2日). https://www.hochi.co.jp/topics/20180528-OHT1T50201.html 2018年12月5日閲覧。 
  4. ^ 男子マラソンでは谷口を除くと、旭化成の後輩だった佐藤信之(1999年)と尾方剛(2005年)の3位が最高。
  5. ^ これら一連の出来事は、日本のテレビ生中継時には転倒後の映像しか流れなかったが、その一部始終は五輪公式の国際映像に記録されており、後日谷口がNHKのスポーツニュース特集に出演した際、自身による解説と併せて放映された。しかしその時も本人は当時の事実を淡々と語るのみで、相手選手や大会関係者のせいにしたり言い訳じみたコメントを発するようなことは一切無かった。同年、大学の後輩である有森裕子と共に、日本フェアプレー賞を受賞した。
  6. ^ 2012年2月9日付 日刊スポーツ本誌およびWEB版
  7. ^ バルセロナ五輪は同旭化成所属で後輩の森下広一が2位・銀メダル獲得、中山竹通が4位と日本男子代表3人全員が入賞を果たした。
  8. ^ 谷口浩美監督が退任…東電長距離・駅伝チーム 読売新聞 2010年10月5日

関連項目編集

外部リンク編集