後藤 基平(ごとう もとひら、? - 1685年9月16日貞享2年8月18日)は、江戸時代初期の土佐藩士。土佐後藤家の第3代当主。禄100石。通称は九右衛門、又六。家紋は「丸に一つ菱」。

来歴 編集

後藤基平は、土佐藩士・堀田伊左衛門[1]の子として生れたが、美作後藤家の血統を継承していた土佐藩後藤家の本家当主・之基が後嗣を欠いていたため、母方の従弟であった基平が1649年2月6日慶安元年12月25日)、之基の養子となり、藩主に御目見した。1660年(万治3年)、之基の死去により、その跡目高100石を相続した。1680年(延宝8年)、江戸勤番を命じられる。1682年(天和2年)、御献上御材木上乗を命じられ、大廻り船にて5月20日に出航し、江戸表へ赴いた。1685年9月16日貞享2年8月18日)に病死した。以後この系統の子孫が、土佐藩後藤家の本家を継承した。幕末大政奉還に功のあった後藤象二郎は、この家の分家当主にあたる[2]

家族 編集

 
丸に一つ菱
  • 養祖父:後藤福基(左京)
  • 養父:後藤之基(十兵衛)
    • 本人:後藤基平(又六)
    • 妻:末松太右衛門の娘
      • 嫡子:後藤基生(又六)

補注 編集

  1. ^ 堀田伊左衛門は、深尾因幡の嫡子。
  2. ^ 後藤象二郎は、後藤之基の兄・後藤助右衛門家の当主にあたる。(兄・助右衛門が分家し、弟・後藤之基が本家を継承している)

参考文献 編集

  • 『御侍中先祖書系圖牒』高知県立図書館寄託文書
先代
後藤之基
土佐後藤家第3代
1660年 - 1685年
次代
後藤基生