志和堀村
日本の広島県賀茂郡にあった村
志和堀村(しわほりむら)は、広島県賀茂郡にあった村。現在の東広島市の一部にあたる。
しわほりむら 志和堀村 | |
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廃止日 | 1955年8月1日 |
廃止理由 |
新設合併 東志和村、志和堀村、西志和村 → 志和町 |
現在の自治体 | 東広島市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 広島県 |
郡 | 賀茂郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,451人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 東志和村、西志和村、高田郡三田村・高南村、豊田郡福富町 |
志和堀村役場 | |
所在地 | 広島県賀茂郡志和堀村大字 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集志和盆地の北端に位置していた[1]。
歴史
編集- 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、賀茂郡志和堀村が単独で村制施行し、志和堀村が発足[1][2]。
- 1955年(昭和30年)8月1日、賀茂郡東志和村、西志和村と合併し、町制施行し志和町を新設して廃止された[1][2]。
地名の由来
編集次の諸説あり[1]。
- 祝師(ほりし)がいたことによる。
- 厳島神巡行の際に藁4把を捧げたことによる。
- 財崎城の周りに濠があったことによる。
産業
編集- 農業、酒造業[1]
交通
編集県道
編集教育
編集- 1887年(明治20年)志和堀尋常小学校を開校[1]。1913年(大正2年)志和堀尋常高等小学校(現東広島市立志和堀小学校)となる[1]。同年、補修学校を併置し、1926年(大正15年)青年訓練所を併置[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 34 広島県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。