志貴崎村(しきさきむら)は、かつて愛知県碧海郡にあったである。

しきさきむら
志貴崎村
廃止日 1906年5月1日
廃止理由 合併
現在の自治体 碧南市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
碧海郡
志貴崎村役場
所在地 愛知県碧海郡志貴崎村
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現在の碧南市の一部(志貴崎町・川口町・稲荷町・河方町・前浜町・平七町・霞浦町・中田町・潮見町・江口町・葭生町など)に該当する。

歴史編集

志貴崎村は江戸初中期に開発された新田に由来する。平七新田は、承応年間(1652~1655年)稲生平七郎が開発を志し、1657年(明暦3年)に完成、のちに平七村となる。伏見屋新田は伏見屋(三宅)又兵衛により1666年(寛文6年)から元禄年代(1688~1704年)にかけて開発された。 伏見屋外新田は、伏見屋新田を水害から守る目的で、加田屋藤五郎らにより1746年(延享3年)完成した。前浜新田は、天明年代(1781~1789年)に計画が立てられたが、入会地の調整を経て1826年(文政9年)認可、翌1827年(文政10年)に完成した。

  • 1876年(明治9年) - 県の地租改正係より飛地組替の通知があり、棚尾村のうち中組の東浦(字北霞浦・字鴻島・字山ノ上道西・字山ノ上道東・字中霞浦・字南霞浦の半分)255戸が平七村に編入され、平七村のうち字雨池・字山畑(中山付近)が棚尾村に編入される。東浦と平七が隣接しているとはいえ、飛地交換が耕地の交換ではなく人家共に行われたことに対して、十分な説明が行われなかった。
  • 1878年(明治11年) - 前浜新田と前浜新田ノ内葭生場が合併し、前浜新田となる。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 平七村、前浜新田、伏見屋新田、伏見屋外新田が合併し、志貴崎村が発足。
  • 1891年(明治24年)8月8日 - 志貴崎村の一部(旧・伏見屋新田)が分立し、伏見屋村が発足。
  • 1906年(明治39年)5月1日 - 伏見屋村鷲塚村と合併し、旭村が発足。同日志貴崎村は廃止。

教育編集

人物編集

  • 山中信天翁 - 幕末維新期の文人。1822年(文政5年)碧海郡棚尾村東浦(のち志貴崎村)生まれ。1885年(明治18年)死去。

参考文献編集

関連項目編集