忠範王(ただのりおう、生年不詳 - 元慶4年2月6日880年3月20日))は、平安時代前期の皇族桓武天皇の孫。二品賀陽親王の子。官位従四位上左京大夫

経歴 編集

清和朝貞観6年(864年)二世王の蔭位により无位から従四位下に直叙され、翌貞観7年(865年中務大輔に任ぜられる。同年2月には、天変地異を止めるため山階山陵天智天皇陵)に遣わされている[1]。従四位上・民部大輔に叙任された後、貞観年間中期に山城守に任ぜられ地方官に転じる。

貞観18年(876年)末に陽成天皇即位を告げるために伊勢大神宮に派遣される[2]。翌元慶元年(877年左京大夫に任ぜられて京官に復し、同年7月には改元の伝達のための松尾神社への使者を務めている[3]

元慶4年(880年)2月6日卒去。最終官位は従四位上行左京大夫。

官歴 編集

日本三代実録』による。

脚注 編集

  1. ^ 『日本三代実録』貞観7年2月17日条
  2. ^ 『日本三代実録』貞観18年12月17日条
  3. ^ 『日本三代実録』元慶元年7月19日条

参考文献 編集