悼公 (杞)
悼公(とうこう、生年不詳 - 紀元前506年)は、春秋時代の杞の君主。姓は姒、名は成。平公の子。紀元前518年、平公が死去すると、後を嗣いで杞伯となった。
悼公 | |
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杞 | |
伯 | |
王朝 | 杞 |
在位期間 | 前518年 - 前506年 |
姓・諱 | 姒成 |
諡号 | 悼公 |
没年 | 紀元前506年 |
父 | 平公 |
紀元前516年、斉・魯・莒・邾の諸侯とともに鄟陵で会盟した。紀元前510年、諸侯とともに周の成周城壁の修築工事に人を派遣して協力した。
紀元前506年3月、召陵の会盟に参加し、晋を中心とした諸国が楚に対する進攻を決議した。5月、悼公は皋鼬の会の途中で死去した。在位12年。
参考文献
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