悼公(とうこう、? - 紀元前530年)は、春秋時代の君主。姓は、氏は、名は

悼公 甘過
王朝
在位期間 ? - 紀元前530年
姓・諱 甘過
諡号 悼公
没年 紀元前530年

襄公30年(紀元前543年)5月癸巳霊王の崩御後、尹言多中国語版定公中国語版献公・甘の甘過・簡公中国語版儋括中国語版(霊王の弟の儋季中国語版の子)を支持した王子佞夫中国語版(霊王の子)を殺した。書曰く「天王(景王)は弟の佞夫を殺した」。

魯の昭公12年(紀元前530年)10月、甘の簡公が無子のため、弟の甘過を立てた(悼公)。悼公は成公・景公の族人を殺そうとした[1]。成公・景公の族人は劉の献公中国語版を買収し、悼公を殺害した[1]。成公の孫の甘鰍を立てた(平公[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c 春秋左氏伝』昭公
悼公
の君主

不明 - 紀元前530年

先代
簡公
の君主
不明 - 紀元前530年
次代
平公