成宝(せいほう、平治元年(1159年) - 安貞元年12月17日1228年1月25日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての真言宗の僧侶。藤原北家勧修寺流の出身で、父は参議藤原惟方。母は源師経の娘。峰僧正と称される。

経歴 編集

仁安元年(1166年)、勧修寺の雅宝を師として出家寿永2年(1183年)に権律師となり、雅宝の後を受けて勧修寺9世となる。以後、元興寺法隆寺東大寺大安寺などの別当を歴任。顕・密両教に通じた高僧の一人として頭角を現す。承久3年(1221年)、東寺46世長者、高野山座主、大僧正に進んだ。晩年は高野山西谷来迎院に棲み、勧修寺流の普及に努めた。墓所は高野山の西谷にある。

参考文献 編集