『戦う北欧:抗戦か・中立か・抵抗か・服従か』は、武田龍夫の著作。1981年に高木書房で出版された。
著者はスウェーデン駐在の外交官。第二次世界大戦での北欧4国の外交が題材。対照的な4国を並記し、「もしも違う道を選んでいたら」を想像できる効果を生んでいる。
1985年に中公文庫で『嵐の中の北欧:抵抗か中立か服従か』に改題再刊された(2022年改版)。
ソ連の侵入に対抗するため、ドイツと協力し、「枢軸国」と見なされた。
1932年1月 |
ソ連・フィンランド不可侵条約
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1939年8月 |
独ソ不可侵条約。秘密付属議定書で、ポーランドはドイツの、フィンランドはソ連の勢力圏で合意。
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1939年9月 |
ドイツがポーランド侵攻。第二次大戦がはじまる。
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1939年9-10月 |
ソ連がバルト三国に軍駐屯。
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1939年11月30日 |
ソ連はフィンランドとの不可侵条約を破棄。ソ連軍侵入。ヘルシンキをソ連軍が爆撃。
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1939年12月 |
テリヨキの新政権フィンランド民主共和国をソ連が承認。その「要請」によるフィンランド解放戦争であるとソ連は主張。
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1940年3月 |
休戦。モスクワ講和条約。フィンランドは南東部カレリアなどを割譲。
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1940年6ー8月 |
ソ連がバルト三国併合。
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1940年8月 |
ドイツと接近し、ドイツとフィンランドが協力する秘密協定。
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1941年6月22日 |
ドイツがソ連を攻撃(独ソ戦)開始。ドイツ軍は航空基地としてフィンランド基地も使ったため、ソ連もフィンランドを攻撃。フィンランドはドイツ軍が国内に駐留する事を承認。
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1943年2月 |
ソ連はスターリングラード攻防戦で勝利。独ソの形勢逆転。
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1944年9月 |
フィンランドは単独でソ連とモスクワ休戦協定。カレリア割譲の確認など、かつての国土の12%をソ連に割譲した。
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ドイツと戦って撤退、ロンドンで亡命政権を形成。
1938年5月 |
オスロで北欧4国の外相会議。戦争時の中立宣言。
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1939年9月 |
ドイツがポーランド侵攻。第二次大戦はじまる。
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1940年2月 |
アルトマルク号事件。ノルウェー領海上のドイツ船をイギリスが攻撃。ノルウェーの中立を守る能力が疑問視される。
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1940年4月9日 |
ヴェーザー演習作戦でドイツ軍がオスロに侵入占領。
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1940年6月 |
ドイツ軍はノルウェーの大半を占領し戦闘終了。国王ホーコン7世と内閣はロンドンへ亡命。
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1945年5月 |
ドイツ降伏。 6月国王帰国。
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第二次世界大戦下のスウェーデンは、ドイツ寄りの「中立」を維持。
1939年9月 |
ドイツがポーランド侵攻。第二次大戦のはじまり。
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1939年11月 |
フィンランドとソ連が冬戦争。スウェーデンからは義勇兵が参加。
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1940年4月 |
デンマークとノルウェーをドイツが攻撃。
スウェーデンは北欧で唯一の非交戦中立国になった。
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1940年7月 |
輸送協定でドイツ軍の国内通過(英語版)を許可。当然ノルウェー亡命政府は抗議。
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1941年6月 |
真夏の危機(英語版)。フィンランドへの第163歩兵師団 (ドイツ国防軍)12000人通過を許可。
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1943年8月 |
ドイツは劣勢となり、スウェーデンは輸送協定によるドイツ軍の通過許可を返上。
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1945年5月 |
ドイツ降伏。
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ドイツに近すぎた。一日でドイツが占領。
1939年5月 |
ドイツからの申し入れで相互不可侵条約。
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1939年9月 |
ドイツがポーランド侵攻。デンマークは中立宣言。
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1940年4月9日 |
未明にドイツ軍はデンマークに侵攻。朝8時にデンマークは降伏。戦死者14名。親ドイツ内閣発足。
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1943年8月 |
ドイツの要求に対しスカベニウス(英語版)内閣は辞任。次期内閣を選出すべき議会も停止し、ドイツの直接軍政となる。以後のデンマークとドイツは戦争状態とみなされる。
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1945年5月 |
ドイツが降伏。デンマークの内閣と議会は機能再開。
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- 1998年刊行の『北欧の外交:戦う小国の相克と現実』(東海大学出版会)は、20世紀全体に視野を広げた、続編著作といえる。
- 1993年刊行の『物語 北欧の歴史』(中公新書)は、中世から現代までの通史入門。
- ^ 継続戦争とは、冬戦争で失われた領土を取り戻す目的の戦争という、フィンランド側の呼称。