和妻(わづま)とは、日本に古くから主に口伝で受け継がれてきた伝統的な手品の分野である。奇術とは日本手品の中の分類である。

和妻は主に着物を着て演じられ戦後、楽屋言葉として業界用語として使われることが多い。

手妻(てづま)、品玉(しなだま)と呼ばれることもある。戦後の歌舞伎研究の中で西洋の奇術のスタイルを洋妻(ようづま)と呼ぶのに対し、和妻(わづま)と言われることもある。 また昔の落語番付には日本手品、西洋手品と表記が残っている。

手妻は支那手妻のことで、支那とは現在の中国朝鮮大陸のことです。唐人由来の中世芸能

日本元来の手品とは手練によってなしえる妙技とされている。


明治までは手妻人形が存在するがてじなではない。手先で操作する傀儡師の首下げ箱回し人形も手妻人形である。

また日本古来の手品は手術や手技と呼ばれ古浄瑠璃には手品節、舞踊には手品踊が存在した。

手妻(てづま)とは、古代朝鮮語で、妻娘が演じる小手先の芸である。「中世中国芸能史」によると傀儡集団芸能一座の演目名に記録がある。[要出典]

古代日本では、手妻を小手先芸や目眩しに長けた人を手妻師と言った時代があるが決して手品だけをさしたものではなく手先で操る人形も手妻人形と言い、手先で操るからくりや曲取り(ジャグリング)も手妻である。

手妻と言う呼び方は明治初めことまで使われていた。昔しの歌舞伎の役者ことばにも手妻やヅマと呼ぶ呼び方は残っている。


現代になって生み出された日本奇術は創作和妻[1]現代和妻[2]などといわれることがある。

特徴編集

見立て編集

対象を、他のものになぞらえて表現する、日本の芸能に多く見られる技法のこと。半紙で蝶の一生を表現する「胡蝶の舞」仙術手品など。

日本の奇術書編集

日本最古の奇術書は1715年に刊行された『神仙戯術』である。これには、ひょうたんがひとりでに動く術、つくりもののに水中を泳がせる術などが紹介されている。いずれも唐代、南北朝時代には大陸には存在した中世雑芸

他には1725年の『珍術さんげ袋』、1727年の『続懺悔袋』、1729年の『和国たはふれ草』などがある。これらは身近なものを使った奇術(いわゆるクロースアップ・マジック)を紹介している。

大規模な術を紹介しているものとしては1733年の『唐土秘事海』(もろこしひじのうみ)や1784年の『仙術日待種』(せんじゅつひまちぐさ)などが挙げられる。 唐土とは、今現在の中国のこと。浪花書林より6冊揃えで翻訳版が出されている中の1冊です。

江戸中期になると、手練技を解説した専門書もかかれるようになる。1764年の『放下筌』や1779年の『天狗通』などである。

放下とは仏語。禅宗で、一切の執着を捨て去ることから始まり、芸をみせる僧侶を放下僧と呼ぶ。能に「放下僧」演目がある。

大道芸をみせる僧を辻放下と言い、辻は外を意味する。

代表的な和妻編集

胡蝶の舞
白い半紙を破ってをつくる。これに扇子で風を送ると、紙でできている蝶はまるで生きているかのように空中を舞う。新たに蝶をもう1匹つくってつがいで飛ばせ(夫婦の蝶)、さらにこの2匹に扇子で風をあてると紙吹雪が舞う(千羽胡蝶)。
この和妻は『神仙戯術』でそれらしきものがすでに紹介されており、『続懺悔袋』には合理的な説明がしてある。
初代柳川一蝶斎が「蝶の曲」として完成させ、現在は帰天斎派と一陽斎派の2つが伝承されている。「胡蝶の舞」は一陽斎派、「浮連(うかれ)の蝶」「蝶の曲」が帰天斎派での呼称となっている。
パスポート取得第一号としても知られる隅田川浪五郎が海外公演で披露し、日本を代表する手品のひとつとして知られた。
袖玉子
着物の袖のような形をした袋から卵が出現したり消失したりする。主に女性に演じられていた。
エッグ・バッグの日本版と考えられる。
ヒョコ
紙でできた人形がひとりでに動くという術。1755年の『仙術夜半楽』で取り上げられている。
お椀と玉
3つ~4つのお椀とお手玉を使う。お椀を巧みに返しながら玉を隠すが、玉は出たり消えたり移動したりする。最後には大きな玉が現れる。
いわゆるカップ・アンド・ボールの日本版と考えられる。お椀返しと呼ばれる動作がところどころで行われるのが特徴。
連理の紙
和紙を12片に切り分けるが、それらが瞬時にしてつながる。元通りの1枚の紙に戻るのではなく、御幣状につらなった形になる。そのあとつながった紙を分裂させ、さらにそれらを紙吹雪に変化させる手順もある。
釜抜け術
1729年の『続たはふれ草』に掲載されている。10代前半の子供をに入れて鍵をかけ、さらに風呂敷で包む。しかし、開けてみると子供は釜の中から消失しており、同じことを再び繰り返すとまた出現する。同様の脱出術として葛篭抜けがあるが、これは『盃席玉手妻』に解説されている。
扇子玉子
エッグ・オン・ファンの日本版と考えられる。
『神仙戯術』には、吹紙鶏子(すいしけいし、ふいてかみをけいしとす)として解説されている。
紙うどん
白紙を折って燃やし、燃えかすを手に握って空中に投げると何本もの白い糸に変化して広がる。それをたぐりよせて空の小鉢に入れ、水を注ぐとうどんに変化する。『珍曲たはふれ草』に記されている。
天狗の豆隠し
小豆を3粒用意する。ひとつ取り上げて口で湿らせ、手で握ると消失。同じことを繰り返し、2つ目の小豆も消す。今度は消した2つの小豆を1つずつ出現させる。1742年の『神仙秘事睫』(しんせんひじまつげ)で解説されている。
また、1粒の大豆を5粒に増やす術が『仙曲続たはふれ草』に記されている。
柱抜き
現代でも演じられる「サムタイ」と同様の現象。両手の親指同士を紐か針金できつく縛るが、なぜか柱を貫通して柱を両手の間に入れてしまう。さらにまた外したりする。松旭斎天一の演技がよく知られている。
水芸
水からくり応用。京都大阪に元と成るからくりが存在し、大阪の博多小蝶が曲独楽に水からくりを取り入れた
呑馬術
生きた馬を飲み込む幻術[3]。浄瑠璃、「難波丸金鶏」伏見京橋の段に塩の長次郎の話がある。また江戸の奇談の絵本百物語に出てくる長次郎はこの話を参考に作られた江戸奇談になり手品とは関係がない。
呑馬術、剣呑み、火吹きなども唐代の中国幻術の演目である(武林旧事より)
西鶴の豪華蒔絵は天理図書に存在している、歌舞伎研究に残る呑馬術演じ方の資料は一魁斎京次郎が保管

文化財指定編集

1997年5月24日に和妻は文化庁長官により記録作成等の措置を講ずべき無形文化財として選択された[4][5]

代表的な手妻師・和妻師編集

和妻をテーマにした作品編集

参考文献編集

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ カズ・カタヤマ 『図解 マジックテクニック入門』 東京堂出版、2003年、3頁。
  2. ^ 渋谷 慶太”. 社団法人日本奇術協会. 2012年1月28日閲覧。
  3. ^ 日本古典奇術「呑馬術」について 河合勝 愛知江南短期大学紀要第38号 2009年
  4. ^ 日本奇術協会 監修 『七十年の歩み : 社団法人日本奇術協会創立七十周年記念誌』 日本奇術協会、2006年、150頁。
  5. ^ 記録作成等の措置を構ずべき無形文化財(文化庁HP)

外部リンク編集