拓洋 (測量船・2代)

拓洋JCG Takuyō、HL-02)は、海上保安庁測量船。公称船型は大型測量船[3][4]

拓洋
JCG Takuyou HL02.jpg
基本情報
建造所 日本鋼管鶴見造船所
運用者  海上保安庁
艦種 大型測量船
前級 昭洋 (初代)
次級 昭洋 (2代)
艦歴
計画 昭和56年
起工 1982年4月14日
進水 1983年3月24日
竣工 1983年8月31日
就役 就役中
要目
常備排水量 3,370トン
総トン数 2,481トン
全長 96.0 m
最大幅 14.2 m
深さ 7.3 m
吃水 3.60 m
主機 富士6S40Bディーゼルエンジン×2基[1]
推進 可変ピッチ・プロペラ×2軸
出力 5,200馬力
速力 最大17.7ノット
航続距離 12,800海里 (16.9kt巡航時)
乗員 61名
ソナー シービーム2112 マルチビーム測深機[2]
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来歴編集

新海洋秩序の確立を目指して1973年に開幕した第三次国連海洋法会議を通じて、沿岸から200海里以内に所在する資源の管轄権を認める排他的経済水域の概念が提唱された。1974年の同会議第2会期において排他的経済水域概念は会議参加国間でほぼコンセンサス形成に成功し、海洋法条約第5部(第55条~第75条)に排他的経済水域制度に関する規定が設けられるにいたった[5]。日本では元々、海洋資源活用の観点から、領海は3海里とするよう主張してきたが、この趨勢を受けて姿勢を転換し、1977年領海法および漁業水域に関する暫定措置法を施行、領海が沿岸から12海里に拡張されるとともに、200海里の漁業水域が設定された[6]

このような新海洋秩序時代の到来をうけて、排他的経済水域など管轄の及ぶ範囲での海洋開発の動きは一段と活発になった。当時総理府におかれていた海洋開発審議会でも、観測船の増強を含めた200海里海域の調査拡大を強調した答申がなされた。特に緊急性の高い業務としては、大陸棚および沿岸の海の基本図測量と西太平洋国際共同調査が指摘されていた。このような情勢を受けて、1980年代前半の解役が予定されていた「拓洋」(昭和30年度計画、770総トン)の代船として建造されたのが本船である[6]

設計編集

設計面では、初代「昭洋」および航路標識測定船つしま」が手本とされた。船型は長船首楼型、船体構造は横肋骨構造であるが、上甲板および船楼甲板は縦肋骨構造とされた。測量時には船体動揺を極力抑えることが望ましいが、性格上から漂泊ないし低速航行時が多いことを考慮して、減揺装置としては可変周期型の減揺タンクが採用された[6]

主機関としては、富士6S40Bディーゼルエンジン(2,600馬力 / 380 rpm)が採用された[1]。推進器は可変ピッチ・プロペラである。また精密な操船が求められる性格上からバウスラスタも備えているが、航走時の泡や水中雑音低減のため、ここには開閉式の扉装置が設けられている[6]

電源としては、主軸駆動発電装置(600,333 kVA)のほか、久保田鉄工の6D17BHCSMディーゼルエンジンを原動機とした三菱電機製主発電機(400 kVA)2基を搭載した[7]

装備編集

測位・地形測量編集

海洋測量装置としては、船底に設置されたシービーム型マルチビーム音響測深機(MBES)をはじめとして、浅海用測深機、プロトン磁力計、海上重力計、複合測位装置、測量観測データ収録装置などが搭載された[6]

このうち、シービームはアメリカ合衆国のジェネラル・インストゥルメント社製のマルチビーム音響測深機であり、日本では初、世界的にも7番目の導入であった[8][9]。853/Eナロー・ビーム測深機と 875/Cエコー処理器から構成されており[7]、船底の船首尾線に沿って、船首側に20個の送波器が、また船尾側に40個の受波器が配置されていた。待受け受振方式を採用しており、16本の待受けビーム(preformed beam)を合成することができた。それぞれのビームは2度40分×2度40分と非常に細い測深ビームとすることができ、1回の超音波の発振で16個の高精度の水深情報を得ることができた。これにより、海底地形を即座に等深線図として作図することができた[6]。また順次にバージョンアップを図っており、1995年8月以降はシービーム210[10]、その後さらにシービーム2112となっている[2]

また本船では、複合測位装置も装備化された。これは複数の測位システムの情報を総合し、それぞれの場所や時間帯に応じて、最も適切な情報を採用、あるいは統合して測位するものであり[11]、本船では、マグナボックス社の200型システムとして、衛星測位システム受信機2基、ロランC受信機2基、セシウム標準発振器ヒューレット・パッカード社製HP/2117F電子計算機1基を搭載した[7]

地質・地層調査編集

海底の地質・地殻構造探査のためには、深海用音波探査装置と3.5 kHz表層探査装置、地殻熱流量計つき柱状採泥器が搭載された。このうち深海用音波探査装置は、いわゆるマルチチャンネル反射法探査装置として後日装備されたものであり[3]、マルチ12チャンネル対応の受信部を備え、そのためのデジタルストリーマーケーブルは600メートル分を搭載した[6]

環境・海象調査編集

一般海洋観測のためには、塩分・水温・深度測定装置(CTD)、曳航式水温測定装置、舶用波浪計、深海流速計システム、深海用カメラ、海象データ処理装置などが搭載された[6]

搭載艇編集

当初は、12メートル型測量艇2隻を搭載していた。その後、2000年の三宅島噴火などを背景として、同年度補正計画で遠隔操縦可能な「高度防災測量艇」が開発されて、測量艇の片方と交代するかたちで本船に搭載された。これは当初、初代「昭洋」の「マンボウ」、2代目「昭洋」の「マンボウII」に続く「マンボウIII」と称されていた。後に小型測量船「じんべい」として船籍を与えられたが、その後も、運用は本船とセットで行われており、固有の乗組員は配されていない。小型船ながら、浅海用マルチビーム音響測深機や鉛直水温連続測定装置(XBT)、採水装置などを備えている[3]。建造所は瀬戸内クラフトである。

また2012年から2013年にかけて、ISE社の無人探査機(AUV)であるエクスプローラー(海保では「ごんどう」と通称する)2機の運用能力が付与された[12]。2014年6月には、同機を用いた調査で、久米島西方30キロに国内最大の海底熱水鉱床が発見され、同機の名前をとって「ごんどうサイト」と命名された[13]

2016年7月22日夕方、測量調査中に「ごんどう1」が拓洋の左舷スクリューに接触し全損した。拓洋も左舷スクリューの異常で右舷スクリューのみで東京港に帰投した[14]

参考文献編集

  1. ^ a b 佐藤一也「4サイクルディーゼル機関の技術系統化調査」『国立科学博物館 技術の系統化調査報告 第12集』2008年3月。
  2. ^ a b 藤沢美幸、及川光弘「浅海域におけるSEABEAM2112の測深能力の評価」『海洋情報部技報』第26号、海上保安庁、2008年、 143-149頁。
  3. ^ a b c 「海上保安庁全船艇史」『世界の艦船』第613号、海人社、2003年7月、 174頁、 NAID 40005855317
  4. ^ Eric Wertheim (2013). The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World, 16th Edition. Naval Institute Press. p. 393. ISBN 978-1591149545. 
  5. ^ 杉原高嶺水上千之臼杵知史吉井淳加藤信行高田映『現代国際法講義』有斐閣、2008年、174頁。ISBN 978-4-641-04640-5
  6. ^ a b c d e f g h 徳永陽一郎、大塚至毅『海上保安庁 船艇と航空 (交通ブックス205)』成山堂書店、1995年、144-147頁。ISBN 4-425-77041-2
  7. ^ a b c 中西昭「水路測量船「拓洋」」『水路部技報』第3号、海上保安庁、1985年3月、 1-5頁。
  8. ^ 小田巻実、井本泰司,打田明雄,小川正泰「水路技術に関する展望」『水路部研究報告』第38号、海上保安庁、2002年3月、 3-18頁。
  9. ^ 春日茂、井本泰司,打田明雄,小川正泰「大陸棚調査の初期」『水路』第153号、日本水路協会、2010年4月、 2-12頁。
  10. ^ 飯塚正域、清水直哉,島瀬勇二,小原泰彦,大森哲雄,岩淵洋,瀬田英憲,星野二郎,鬼丸 尚,及川光弘「「沖ノ鳥島南東方」の大陸棚調査速報」『水路部技報』第15号、海上保安庁、1997年、 53-59頁。
  11. ^ 楠勝浩「大陸棚調査を巡る動き ≪後編≫」『水路』第156号、日本水路協会、2011年1月、 12-19頁。
  12. ^ 「海上保安庁船艇の全容」『世界の艦船』第840号、海人社、2016年7月、 95頁。
  13. ^ 川口大輔「海上保安庁 最近の動向と将来展望 (特集・海上保安庁2016)」『世界の艦船』第840号、海人社、2016年7月、 123-129頁。
  14. ^ 「海上保安庁ニュース AUV"ごんどう1"が拓洋に接触」『世界の艦船』第846号、海人社、2016年10月、 176頁。

関連項目編集