持弁(じえん・持辨)は、室町時代天台宗足利満詮の子。第154世天台座主。第4代将軍足利義持より偏諱を賜って持弁と名乗る。

 
持弁
時代 室町時代 
生誕 応永10年(1403年
死没 応仁元年(1467年
幕府 室町幕府
父母 父:足利満詮、母:藤原誠子
兄弟 実相院増詮三宝院義賢浄土寺持弁地蔵院持円安禅寺比丘尼
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経歴 編集

時期は不明であるが、浄土寺に入って慈弁(近衛道嗣の子)の門弟となり、応永20年(1413年)の師の没後に浄土寺を継ぐ[1]

応永28年4月11日1421年5月12日)、前座主・義円(第6代将軍・足利義教)の後を受けて天台座主になる。

応永30年(1423年)に以前に3人の兄と同様に武家護持僧に任じられている(『満済准后日記』応永30年正月8日条より)[2]

文安2年3月14日1445年4月21日)に准后宣下を受けた[注釈 1][3]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 従来は『康富記』嘉吉2年6月17日条より永享2年(1430年)に宣下を受けたと考えられてきたが、高鳥廉は筆者の中原康富が永享元年に行われた常住院の尊経に対する准后宣下を先例として引こうとした際に「永享元年常住院殿御例」と書くべき処を「永享二年浄土寺殿御例」と書いてしまう二重の誤り(年時と居住寺院)をしていることを指摘した上で、『師郷記』文安2年3月14日条に今日「浄土寺前大僧正(持弁)」が准后宣下を受けたとする記事の存在を指摘している。なお、『康富記』自体も宝徳元年9月25日条(祐厳への准后宣下の前日)にて「文安二年浄土寺殿御時」と持弁の宣下を先例として触れている。

出典 編集

  1. ^ 高鳥、2022年、P99.
  2. ^ 高鳥、2022年、P103-104.
  3. ^ 高鳥、2022年、P109-111.

参考文献 編集

  • 高鳥廉「室町前期における足利満詮流の政治的地位」(初出:『日本歴史』827号、2017年)/所収:高鳥『足利将軍家の政治秩序と寺院』(吉川弘文館、2022年) ISBN 978-4-642-02976-6