救荒食物

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救荒食物(きゅうこうしょくもつ)あるいは救荒食(きゅうこうしょく)とは、飢饉災害戦争に備えて備蓄、利用される代用食物のこと。植物に限定したものは救荒植物という。

歴史編集

中国編集

中国では1406年に『救荒本草中国語版』が著され、救荒食として利用可能な400種の栽培法や調理法を紹介している[1]

「凶年飢健を救うための政策」という意味の荒政という言葉が『周礼』地官司徒に記されていることから、先秦時代から凶年や飢饉に対する政策が考えられていたことがわかっている[2]。そういった救荒政策についてまとめた救荒書が編纂されたのは、宋代の『救済流民経画事件』一巻が最初だと考えられている[3]。そして、救荒書として食べられる植物に関する知識に焦点を当てたのが明代初期の『救荒本草』である。

日本編集

近代以前は交通網が整備されておらず、天候の不順によって大規模な不作を招き、深刻な飢饉を引き起こすことは珍しくなかった。そのため、統治者側は囲米義倉常平倉など米などを予め備蓄する。これを備荒貯蓄という。そのほかにも「喰延(くいのばし)」と呼ばれる食料消費の節約策(具体的には豆腐納豆菓子類の製造禁止もしくは制限など)を実施したりした。民間や地域でも、社倉と呼ばれる義倉と同等の仕組みを行った。

それとともに救荒食物の栽培も行われた。栽培は統治者側から奨励されることもある。続日本紀によれば、奈良時代に元正天皇は以下の勧農の詔を発布して、晩禾蕎麦大麦及び小麦の栽培を勧農した。

今夏無雨。苗稼不登。宜令天下國司勸課百姓。種樹晩禾蕎麥及大小麥。藏置儲積。以備年荒。 — 『続日本記』巻九 元正天皇養老六年七月戊子(722年9月4日)

また、江戸時代には、芋代官と呼ばれた井戸平左衛門の尽力で中国地方に移入され、徳川吉宗の支援で関東に普及が図られた甘藷はその代表的な存在である。また、馬鈴薯も、甲府代官の中井清太夫によって甲府に普及が図られた。諸や地方の豪農、知識人(儒者や蘭学者)の中にも救荒食物に関する著作を著して庶民への知識普及を働き掛ける者もいた。だが、一方で庶民側から見た場合、甘藷などの例外を除けば、畑地もしくは焼畑において普通に耕作されていた作物が多く、本来は主食や日常食として食せられていたものも少なくは無かった。代表的なものとしては蕎麦などの雑穀大根の葉・根菜類・海藻類などが代表的であるが、などの実や通常では有毒な蘇鉄の実でさえ手を加えて食された。そうした中で例外的に甘藷が受容されたのは、救荒食物の条件として望まれている気象の変化や土質を問わずに生育可能で、雑草や病害虫に強く、生育・成熟が早く、簡単に料理が出来、主食に替わるエネルギー量を持っているなどの条件を全て満たしていたことが大きい。

また天明の大飢饉を経験した米沢藩では、「かてもの」と呼ばれる救荒食の手引書を作成して天保飢饉の際に役立った[4]

明治においては、石川理紀之助によって『草木谷庵の手なべ』という救荒食の調理法の本が出版されている。

戦後の高度成長期以後の食糧事情の改善は救荒食物のための焼畑耕作などを表面上は不要なものとした。ただし、将来の不測の事態に備えて山間部や離島などでは畑の片隅や使われていない土地に救荒食物を栽培して、その種子を確保している農家もある。

熊本城の例
熊本城を作った加藤清正籠城戦に耐えられるように、畳の芯や土壁の繋ぎに里芋の茎である芋茎、壁にはかんぴょうを塗り込み、堀にはレンコンを植えていた。

その他の国の例編集

ドイツ
カブラの冬、飼料用カブラ(ルタバガ)で飢えをしのいだ。
アイルランド
ジャガイモ飢饉の際、沿岸ではダルスなどの海藻、内陸部ではスイバなどの野草で飢えを凌いだ[5][6][7]
ロシア
ロシアで起きたホロドモールの際、鳥や犬や猫、ドングリやイラクサなどで飢えを凌いだ。果てには、病死した馬や人間を掘り起こし食べたため病気が蔓延した。第二次世界大戦時のレニングラード包囲戦では、エルミタージュ美術館で飼われている猫を含むペットが食料とされた。
1944–45年オランダ飢饉英語版
戦時中にドイツが兵糧攻めしたことから起きた飢饉。チューリップの可食できる花びらや球根を食べ、医者によるレシピも提供された[8]。食べ過ぎると病気になるという報告のほか[9]、アレルギーも起きる[10][11]。また日本でも同様に食用やでんぷんの原料となった。[12]

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未分類

脚注編集

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  1. ^ 久保道徳 『薬草入門』 保育社、1980年1月、16頁
  2. ^    zh:周禮/地官司徒. - ウィキソース. 
  3. ^ 白杉悦雄「救荒書の思想史的研究」甲第6624号、1997年、 NAID 500000144095
  4. ^ か手もの”. 日本社会事業大学デジタル・ライブラリー. 2015年11月13日閲覧。
  5. ^ McBride, Doreen (2018年2月8日). “The Little Book of Fermanagh”. History Press. 2018年8月28日閲覧。
  6. ^ Gribben, Arthur (1999年3月1日). “The Great Famine and the Irish Diaspora in America”. Univ of Massachusetts Press. 2018年8月28日閲覧。
  7. ^ Holdings: Nettles and charlock as famine food.”. sources.nli.ie. 2018年8月28日閲覧。
  8. ^ Eating Tulip Bulbs During World War II” (英語). Amsterdam Tulip Museum. 2020年3月15日閲覧。
  9. ^ Tulip Bulb Toxicity” (英語). poison.org. National Capital Poison Center. 2020年3月15日閲覧。
  10. ^ Bellamy, Lucy (2013年10月4日). “Tasty tulips”. The Guardian. https://www.theguardian.com/lifeandstyle/gardening-blog/2013/oct/04/tulips-edible-flowers 2020年3月15日閲覧。 
  11. ^ Creasy, Rosalind (2012) (英語). The Edible Flower Garden. Tuttle Publishing. p. 156. ISBN 978-1-4629-0617-8. https://books.google.com/books?id=JAHQAgAAQBAJ&pg=PT156 2020年3月15日閲覧。 
  12. ^ 大正・昭和初期の花き園芸”. 秋葉区役所 (2012年6月1日). 2021年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月27日閲覧。

参考文献編集

関連項目編集

備蓄

外部リンク編集