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文壇バー

日本における飲食店のカテゴリーのひとつ

文壇バー(ぶんだんバー)は、日本において文壇の関係者が常連として集まるバー (酒場)の通称。「バー」という呼び名がなされているが、実態としては客層が文壇に限らない高級クラブを含む。これらの店舗は東京銀座神田神保町周辺に多く存在した[1]

特徴編集

文壇バーと称される酒場には、実態として、一般的な「バー」というよりも「高級クラブ」の形態に属すものが少なからず含まれている。またそれらの著名な文壇バーの多くが、「マダムが自身の才気と魅力をもって経営する」という個人経営形態をとっている。

変遷編集

1950年代前半まで編集

昭和初期(1920 - 1930年代)において、高級クラブの主力客は経済界の大物や政治家、高級官僚たちであり、「文壇バー」という呼称は一般的ではなかった。だがジャーナリズムの拡大により作家たちの社会的地位と収入が上昇し、高級クラブに通いはじめる者が次第に増加しはじめた。

1950年代後半編集

『エスポヮール』、『おそめ』が銀座の高級クラブの双璧として覇を競い、時代を代表する超一流の政治家・実業家たちを顧客化した。

“ある一人の客”(白州次郎との説が有力)をめぐる両店マダム同士の意地の張り合いをモデルにした川口松太郎の小説『夜の蝶』が映画化され、流行語にもなった。文化人たちの一部も両店に通いはじめており、店側でもそのことを自店のステイタス向上に利用した側面もあった。「文壇バー」という呼称への認知は広がったが、一部の大作家や売れっ子作家以外の文壇関係者にとって、両店の敷居はまだ非常に高いものであった。

1960年代 - 1980年代前半編集

政治・経済界だけでなく、文壇にも世代交代が進み始め、超大物顧客のみを客層とする経営戦略をとっていた『エスポワール』や『おそめ』の勢いに陰りが出始める一方、若い世代を顧客として取り込んだ新しい高級クラブが文壇バーの主力となっていった。また会社組織で経営する『ラ・モール』のような文壇バーも登場した。

一方、銀座などの高級クラブとは異なる大衆的な飲食店が蝟集する新宿ゴールデン街は、常連客だった中上健次佐木隆三が1976年にそれぞれ芥川龍之介賞直木三十五賞を受賞したことで全国的に知名度を上げ、「文化人の集まる飲み屋街」として知られるようになった[2]

1980年代後半 - 1991年頃編集

いわゆるバブル景気の時期。銀座をはじめとする高級クラブがかつてない隆盛を誇るが、法人客やバブル長者等の需要を取り込んだ結果であり、高級クラブ業界における文壇バーの存在感は相対的に低下した。

著名人がサロンのように屯し、それを看板にする時代は去ってしまった。今は組織、それも一流企業を二つか三つ、つかんでいればいい — 松本清張、『幻華』

バブル崩壊以降編集

バブル時代に高級クラブを支えた企業による接待利用は激減。ITバブル以降に見られる産業構造の変動もあり、銀座をはじめとする全国の高級クラブのビジネス規模は縮小し、多くの文壇バーが閉店した。一方で数軒の名門店他は歴史を守り続け、文化人をはじめとする様々な業界の客層を維持している。2018年には、NHK総合テレビプロフェッショナル 仕事の流儀』で、銀座で50年の歴史をもつ名門店のマダムを、“銀座の伝説”として紹介した[3]

一方、新宿ゴールデン街では、ライター出身の経営者が「日本一敷居の低い文壇バー」「プチ文壇バー」を称して[1][4]、文学やライターの志望者をターゲットにした「月に吠える」を2012年にオープンさせている[4][5]

文壇人にとっての文壇バー 編集

隆盛期編集

黄金期である1960年代から1980年代にかけては、「文壇バー」は、文壇人たちにとっての情報交換、意見交換、ビジネス獲得の場所として機能していた。また作家たちの連帯意識を高めるソサエティとしての役割を果たしていた。

(作家による記述例)

銀座は、(作家たちにとって)自分以外の世界の人にふれあい、交流のきっかけを得る場所でもあったのだ。(中略) 仕事の打ち合せ、仲間同士の付き合いは、皆銀座で行われた。新しい仕事の打ち合せ、長い連載の仕事が終わっての打ち上げ会などの場合、銀座の料理屋、レストランで食事をし、酒場(文壇バー)に移るのが、ごく普通の形であった。 — 峯島正行、『さらば銀座文壇酒場』
このメンバーの顔触れを見てもお分かりのように、みんな一匹狼ばかりであって、芸術院会員になろうと先輩文士にゴマをすったり、ゴルフにうつつを抜かすような人間はいない — 梶山季之、雑誌『噂』(1973年8月号)
作家ほど純粋に生きている奴はいないのだ。女に惚れるとどれほど騙されても悔ないし、少し休養して養生したらといってもペンを離さない。頑固と言えば頑固だか、この一徹さが権力も懼れず、金力に屈せず、暴力にも負けないのだ。 — 今東光、『週刊小説』(1975年5月15日号)

2010年代編集

ネットをはじめとする情報技術の発達により、フェイス・トゥー・フェイスで情報収集を行うための場所としての役割は相対的に低下した。その一方で、昭和出版業界黄金期を醸成した舞台としての文化遺産的価値や、歴代文化人の精神を理解・継承し得る場所としての価値(=『聖地』としての価値)が言及されるようになってきている。

(作家による記述例)

いつか(先輩作家に対し)恩返しをしなければならない。そのためにはもっともっといかなければならないし、若い作家を誘わなければ。(中略) 我々にとって、『数寄屋橋』は『聖地』であり『学校』であり、そして『憩い』の場だった。これからもずっとそうあって欲しい。 — 大沢在昌、『文壇バー -君の名は「数寄屋橋」』への寄稿
太宰がなじみにしたここ『ルパン』はずっと特別な存在でした。バーのさんざめくような喧騒が好きで行きつけもありますが、昭和初期からあって、そしてそのむかし太宰が通ったルパンは“色”が違うゆうんですかね。 — 又吉直樹、『GQジャパン』(2016年5月5日号)

著名な文壇バー(抜粋)編集

  • 『ルパン』(1928年 -  ) 初代マダム・高﨑雪子(1995年没) 店内の太宰治を捉えた林忠彦の写真で知られる[6]
  • 『エスポヮール』(1948年 - 1989年) 初代マダム・川辺るみ子(1989年没)
  • 『らどんな』(1949年 - 2007年) 初代マダム・瀬尾春(1991年没)
  • 『おそめ』(1955年 - 1978年) 初代マダム・上羽秀(2012年没)
  • 『葡萄屋』(1957年 - 2000年)初代マダム・井上みち子
  • 『眉』(1959年 - 1985年) 初代マダム・長塚マサ子(2003年没)
  • 『姫』(1959年 - 2013年)初代マダム・山口洋子(2014年没)
  • 『ラ・モール』(1960年 - 1980年代前半) 初代マダム・花田美奈子(2013年没)
  • 『魔里』(1963年 - ) 初代マダム・大久保マリ子(現役)
  • 『数寄屋橋』(1967年 - ) 初代マダム・園田静香(現役)

脚注編集

  1. ^ a b 本当にあるの?憧れの文壇バー - 幻冬舎新ルネッサンス新社
  2. ^ 「ゴールデン街の歴史」『新宿ゴールデン街』誠美興業。
  3. ^ 銀座、夜の女たちスペシャル - プロフェッショナル仕事の流儀(NHK、2018年4月16日放送)
  4. ^ a b 千絵ノムラ (2014年2月17日). “【文豪気分】新宿ゴールデン街にある「日本一敷居の低い文壇バー」に行ってみた! プチ文壇バー『月に吠える』”. ロケットニュース24. https://rocketnews24.com/2014/02/17/409567/ 2018年7月7日閲覧。 
  5. ^ “新宿ゴールデン街の文壇バーでライター講座”. 新宿経済新聞. (2017年11月7日). https://shinjuku.keizai.biz/headline/2574/ 2018年7月7日閲覧。 
  6. ^ 太宰治 - 林忠彦賞公式サイト(周南市美術博物館)

参考文献編集

  • 峯島正行『さらば銀座文壇酒場』青蛙房、2005年
  • 園田静香(編)『文壇バー - 君の名は「数寄屋橋」』財界研究所、2005年
  • 園田静香『銀座の夜の神話たち 1万8250日の物語』財界研究所、2017年
  • 石井妙子『おそめ-伝説の銀座マダム』新潮社、2009年
  • 金森幸男『エスポワールの日々』日本経済新聞社、1993年
  • 大下英治『銀座らどんな物語』講談社、1992年