斉侯無詭
斉侯無詭(せいこう むき)は、春秋時代の斉の第17代君主。無虧、武孟とも。父は桓公、母は長衛姫。
姜無詭 | |
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斉 | |
第17代公 | |
王朝 | 斉 |
在位期間 | 前643年 |
姓・諱 | 姜無詭 |
諡号 | 武孟 |
生年 | 不詳 |
没年 | 前643年 |
父 | 桓公 |
母 | 長衛姫 |
桓公の死後、無詭を含む5人の公子(無詭、公子元(後の恵公)、公子潘(後の昭公)、公子商人(後の懿公)、公子雍)が後継者の座を巡って争ったため、太子昭(後の孝公)は後見人である宋の襄公の元へ亡命した。その後、無詭擁立派の家臣が反対派を暗殺して後継争いを収拾し、無詭を斉公に即位させた。即位から3カ月後、宋の襄公が太子昭の正統性を主張して斉に攻め入ったため、斉の家臣はこれを恐れて無詭を暗殺した。太子昭は新君として迎え入れられ、即位して孝公となった。
脚注
編集斉侯無詭
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爵位・家督 | ||
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先代 桓公 |
斉の公爵 紀元前642年 |
次代 孝公 |