斎藤又四郎
斎藤 又四郎(さいとう またしろう、文明14年(1482年)- 明応8年11月13日(1499年12月15日))は、戦国時代の武将である。斎藤氏持是院家2代目の斎藤妙純の次男。幼名は大黒丸。斎藤利茂と同一人物とも[1]。兄に利親、弟に彦四郎、姉妹に朝倉貞景室、京極高清室、息子に又四郎(幼名は大黒丸)がいる[2]。
概要
編集明応5年(1496年)12月7日、父の妙純と兄の利親が戦死すると、甥の勝千代(後の斎藤利良)が幼少であったため、持是院家の4代目当主となる。明応6年(1497年)6月3日元服し、又四郎と名乗る。同盟関係にあった伊勢長野氏の息女と結婚し、男子(大黒丸、後の斎藤又四郎)をもうけるが明応8年(1499年)に急死した。享年18。法名悦厳僖公居士。家督は弟の彦四郎が継承した。