八戸 直義(はちのへ なおよし)は、江戸時代前期の盛岡藩士。八戸氏22代当主。

 
八戸直義
時代 江戸時代前期
生誕 慶長6年12月14日1602年2月5日
死没 延宝3年1月5日1675年1月30日
改名 新田直義、八戸直義、南部直義
別名 弥六郎
主君 南部利直重直
陸奥盛岡藩
氏族 八戸氏庶流新田氏→八戸氏
父母 新田政広
清心尼
八戸直政次女・愛
義長、義也
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略歴

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慶長6年(1602年)、八戸氏の重臣・新田政広の嫡男として誕生。

慶長19年(1614年)、八戸氏20代当主・八戸直政が急逝し、妻である清心尼が21代当主となったが、元和6年(1620年)彼らの次女・愛との婚姻で婿養子となることで22代当主・八戸弥六郎直義を名乗る[1]。以後、南部宗家である三戸南部家の筆頭家老として仕える。

寛永4年(1627年)3月、南部利直の命により、八戸から遠野国替移封)させられ、荒廃していた遠野を義母・清心尼と共に整備していった。後に直栄と改名する[2]

なお、八戸氏は八戸の根城を拠点としていたため、根城南部氏とも呼ばれるが、遠野への国替を期に遠野南部氏とも呼ばれるようになる。

延宝3年(1675年)、死去。

脚注

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  1. ^ 平成・南部藩ホームページ”. www.tonotv.com. 2019年9月13日閲覧。
  2. ^ 拾戸(とおのへ)遠野~南部氏10番目の領地~”. 青森県の歴史話. 2019年9月13日閲覧。