日弁(にちべん、1239年(延応元年)- 1311年7月12日(応長元年6月26日))は、鎌倉時代法華宗日蓮宗)の日辨(旧字体)とも。越後房。越後阿闍梨。中老僧の一人。

略歴

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1239年(延応元年)駿河国富士郡に生まれる。1251年(建長3年)天台宗の滝泉寺にて出家。名を宥弁と称す。1275年(文永12年)身延山日蓮を訪ね、「真言亡国とはいかなる義なりや。」と詰問。ものの見事に論破される。弟子となることを許され、日弁の名を賜る。1277年(建治3年)小早川内記の外護により、鷲山寺を開山。1308年(延慶元年)山城国へ赴き布教した。青柳山本門寺(現・宥清寺)を開山。1310年(延慶3年)陸奥国へ布教の旅に出る。陸奥国伊具郡(現・宮城県角田市)で折伏を終え鷲山寺への帰途、暴徒に襲撃され凶刃に倒れる。享年73歳。遺体は弟子の手で鷲山寺を目指したが、常陸国赤浜(現・茨城県高萩市)で荼毘に付し、供の者たちは残灰で像を造り、像のみ鷲山寺に帰山した。角田市に殉難碑。高萩市に墓所。赤浜願成寺52世日有代に願成寺壇信徒と寶塔寺、成願寺等の有縁者による墓域整備がされている。

参考文献

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  • 日弁大正師略伝