チャールズ・ドージャー

日曜日問題から転送)

チャールズ・ケルスィー・ドージャー(Charles Kelsey Dozier、1879年1月1日 - 1933年5月31日)は、アメリカ合衆国出身の宣教師教育者西南学院創設者。日本ではC・K・ドージャーと表記するのが一般的である。


経歴編集

ジョージア州ラグレンジに生まれる。マーサー大学南部バプテスト神学校を卒業後、1906年、のちに西南女学院を設立する宣教師J・H・ロウと共に来日。キリスト教教育を基にした学校が必要ということで、1916年4月福岡市中央区赤坂1丁目、現在の読売新聞西部本社がある場所に西南学院を創設(1918年西新へ移転)。また児童教育などに尽くした学院創立者の妻M. A. バーク(Maude Adelia Burke)は外国人として初の西日本文化賞を受けている。後述の日曜問題で辞任後は小倉伝道に従事していたが、1933年5月31日、心臓病で死去。54歳。臨終の際に言い遺した「西南よキリストに忠実なれ(Seinan,Be True to Christ.)」という言葉は今でも建学の精神として伝わっている。

後に西南学院大学の卒業生でRKB毎日放送エグゼクティブ・プロデューサー木村栄文が、ドキュメンタリー番組「荒野に呼ばわる者-C・K・ドージャーの生涯」でドージャーの生涯を描いている[1]

長野県軽井沢町にドージャー一家が使用したウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の別荘(1933年築)が移築保存されている。2022年現在、貸別荘として提供されており、宿泊も可能である。

日曜日問題編集

日曜日の野球試合厳禁」で起きた学園騒動である。

1928年7月22日(日)の全国高専野球西部予選で西南は長崎高商(現・長崎大学)を6対0で破り、福岡高校(現・九州大学)と準々決勝での対戦が決定した。ところがドージャー院長は、「日曜日は(キリスト教の)イエス=キリスト安息日である」ことを理由として試合出場を禁じたが、士気上がる部員たちはドージャーの反対を押し切って試合に出場。翌日、長崎高商戦に出場した選手全員を無期停学の処分にした。さらに、もし今度福高と試合をすれば(やはり日曜日)「全員退学処分にする」と警告。結局、ナインは試合出場を断念した(その福高は決勝戦で五高(現・熊本大学)を破って優勝した)。これが原因でドージャーは生徒・教職員と対立し、翌1929年7月、院長辞任に追い込まれ、学院を去った。

脚注編集

  1. ^ 西日本シティ銀行 - ふるさと歴史シリーズ西南学院の創立者C・K・ドージャー

外部リンク編集