軽井沢町

日本の長野県北佐久郡の町

軽井沢町(かるいざわまち)は、長野県東信地方北佐久郡に属し、浅間山東南麓に位置する。

かるいざわまち ウィキデータを編集
軽井沢町
軽井沢町旗 軽井沢町章
軽井沢町旗
1960年12月22日制定
軽井沢町章
1960年12月22日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方信越地方
都道府県 長野県
北佐久郡
市町村コード 20321-1
法人番号 8000020203211 ウィキデータを編集
面積 156.03km2
総人口 19,775[編集]
推計人口、2021年11月1日)
人口密度 127人/km2
隣接自治体 佐久市北佐久郡御代田町
群馬県高崎市安中市甘楽郡下仁田町吾妻郡長野原町嬬恋村
町の木 コブシ
町の花 サクラソウ
他のシンボル 町の鳥:アカハラ
町の動物:ニホンリス
軽井沢町役場
町長 藤巻進
所在地 389-0192
長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2381-1
北緯36度20分54.3秒 東経138度35分49.3秒 / 北緯36.348417度 東経138.597028度 / 36.348417; 138.597028座標: 北緯36度20分54.3秒 東経138度35分49.3秒 / 北緯36.348417度 東経138.597028度 / 36.348417; 138.597028
Karuizawa town office.JPG
軽井沢町役場
外部リンク 公式ウェブサイト

軽井沢町位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
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概要編集

日本有数の高原リゾート地である。美しい山々と豊かな清流に囲まれ、の中やの上に別荘教会リゾートホテルレストラン美術館などが点在する。町の側は森林に広く覆われ、浅間山上信越高原国立公園へと続いており、側は草原田園ゴルフ場が多く分布し、雄大なパノラマ風景が広がっている。年間を通じてハイキングサイクリングショッピングなどを楽しむことができ、ゴルフテニススキーなどの屋外レクリエーションに適する。

江戸時代までは中山道宿場町軽井沢宿)として栄えたが、明治時代に入ると衰退。そんな中イギリス系カナダ人宣教師によって、その西洋に似た気候風土から1880年代避暑地別荘地として開拓され、それ以降高い人気を博している。

明治から昭和前期にかけて、「日本の中の西洋」と言われるまでに聖職者外交官など数多くの外国人が滞在、日本三大外国人避暑地の筆頭となり、キリスト教をはじめとする西洋文化が流入した。大正期からは、外国人に倣って日本の上流階級も数多く滞在、皇族華族界の要人らの別荘が立ち並び、社交界の舞台となった。加えて同時期から学者小説家画家音楽家などの文化人も数多く滞在し、サロンの舞台にもなる。そして中流階級らも次第に滞在していき、戦後になると、訪れる外国人は減少するもののその知名度は日本人の間で全国的に拡大、今日に至るまでに発展した。

町全体が別荘地として整備されており、現在では町内における別荘・保養施設数が1万6000軒を超え、持ち家数の1.5倍以上に及んでいる[1]。別荘所有者による固定資産税の納入(全体の約80%[2])などから、財務状況が優良な地方自治体であり、県内唯一の地方交付税不交付自治体となっている。

また、別荘地であるとともに、三大都市圏海外から大勢の観光客が訪れる観光地でもある。2019年には、約840万人の観光客が訪れた[1]。町の観光ビジョンは、堀辰雄による当地を舞台とした小説の題名より、「美しい村」とする。

近年では、静養や観光目的以外に、ワーケーション居住先としても大きな関心が寄せられている[3]

明治期以来、この町の大きな魅力となっているのは、首都圏からのアクセスの良さと、豊かな自然や清涼な空気、また欧米の小さな町村のような異国情緒漂う雰囲気・上品で洗練された景観、キリスト教思想を基盤とした善良な風俗と清浄な環境スポーツ芸術などに代表される文化水準の高さなどである[4][5]ブランド総合研究所が毎年発表している「市区町村魅力度ランキング」では、全国1000市区町村の中で常にトップ20にランクインしており、長野県下では1位となっている。

日本で初めて「高原」と冠された地であり[6]、日本における高原野菜[7]林間学校[8]、テニスブーム[9]、リゾートウェディング[10]・教会ウェディング[11]の発祥となった町である。また、現在では世界中に展開されているホテルチェーンである『星野リゾート』や『プリンスホテル』の発祥の地でもある。日本で初めて分譲別荘地の開発[8]建売別荘の販売[12]も行われている。上皇明仁上皇后美智子が出会った町、ジョン・レノンが愛した町としても知られている。近年では、ビル・ゲイツが軽井沢町に別荘を建てたという噂が流れ、話題になった。

1964年東京オリンピックでは馬術1998年長野オリンピックではカーリングの競技会場にもなり、世界で初めて[要出典]夏季冬季両方のオリンピック競技会場とされた町である。

健康保養地としての特性から、条例などによってあらゆる面で独自の制限がかけられている。景観面では厳しい建築規制が設けられおり、生活面では深夜営業や風俗営業性風俗関連特殊営業の禁止、歓楽街の排除などが行われている。

「かるいわ」と発音されることもある。地名の由来など、詳細は「軽井沢#語源」を参照。

地理編集

四方を丘陵に囲まれた高原であり、起伏豊かな地形を形成している。

  • 最高地点 2,568メートル(浅間山山頂)
  • 最低地点 798.7メートル
    軽井沢駅は標高約940メートル。

気候編集

軽井沢
雨温図説明
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5
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気温(°C
総降水量(mm)
出典:気象庁
インペリアル換算
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7.6
 
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55
 
 
5.9
 
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1.2
 
42
22
気温(°F
総降水量(in)

ケッペンの気候区分において、亜寒帯湿潤気候(Dfb)となっている。また、標高約1,000メートル前後と高地にあるため、冬の寒さは厳しく夏は涼しいという、典型的な高原型避暑地の気候である。夏季の平均気温は20℃前後、冬季は平均気温が零下になる。夏季は降水量が多いが、冬はさほど多くなく、豪雪地帯ではない。年間100日以上が発生し[13]湿度は年平均で80%程度となる(ただし、年間を通じて気温が低いために不快感をもたらすことは少ない)[14]

  • 気温 - 最高34.2℃(1946年(昭和21年)7月16日)、最低-21.0℃(1936年(昭和11年)3月1日
  • 最大降水量 - 318.8ミリメートル(1949年(昭和24年)8月31日
  • 最大瞬間風速 - 36.3メートル(1959年(昭和34年)8月14日
  • 最深積雪 - 99センチ(2014年(平成26年)2月15日
  • 夏日最多日数 - 85日(2010年(平成22年))
  • 真夏日最多日数 - 22日(1995年(平成7年))
  • 猛暑日最多日数 - 0日(1955年2013年
  • 冬日最多日数 - 180日(1943年(昭和18年)寒候年)
軽井沢町大字追分(軽井沢特別地域気象観測所、標高999m)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 16.1
(61)
18.8
(65.8)
22.6
(72.7)
28.3
(82.9)
29.5
(85.1)
31.1
(88)
34.2
(93.6)
33.9
(93)
31.3
(88.3)
27.7
(81.9)
22.3
(72.1)
20.7
(69.3)
34.2
(93.6)
平均最高気温 °C°F 2.3
(36.1)
3.5
(38.3)
7.8
(46)
14.3
(57.7)
19.2
(66.6)
21.5
(70.7)
25.3
(77.5)
26.3
(79.3)
21.7
(71.1)
16.2
(61.2)
11.2
(52.2)
5.3
(41.5)
14.6
(58.3)
日平均気温 °C°F −3.3
(26.1)
−2.6
(27.3)
1.1
(34)
7.0
(44.6)
12.3
(54.1)
16.0
(60.8)
20.1
(68.2)
20.8
(69.4)
16.7
(62.1)
10.5
(50.9)
4.8
(40.6)
−0.5
(31.1)
8.6
(47.5)
平均最低気温 °C°F −8.2
(17.2)
−8.0
(17.6)
−4.5
(23.9)
0.6
(33.1)
6.3
(43.3)
11.8
(53.2)
16.4
(61.5)
17.1
(62.8)
13.0
(55.4)
6.3
(43.3)
−0.2
(31.6)
−5.3
(22.5)
3.8
(38.8)
最低気温記録 °C°F −20.3
(−4.5)
−19.6
(−3.3)
−21.0
(−5.8)
−11.6
(11.1)
−6.1
(21)
−0.9
(30.4)
5.0
(41)
7.0
(44.6)
−0.2
(31.6)
−6.5
(20.3)
−11.8
(10.8)
−18.0
(−0.4)
−21.0
(−5.8)
降水量 mm (inch) 36.8
(1.449)
36.8
(1.449)
68.3
(2.689)
81.0
(3.189)
108.8
(4.283)
154.6
(6.087)
191.8
(7.551)
141.6
(5.575)
193.5
(7.618)
151.1
(5.949)
52.5
(2.067)
29.6
(1.165)
1,246.2
(49.063)
降雪量 cm (inch) 44
(17.3)
38
(15)
33
(13)
5
(2)
0
(0)
0
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0
(0)
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0
(0)
1
(0.4)
19
(7.5)
141
(55.5)
平均降水日数 (≥0.5 mm) 6.8 6.8 9.8 10.3 11.3 14.7 17.0 13.1 13.2 10.4 6.8 6.3 126.5
平均降雪日数 20.2 17.5 15.4 4.8 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.1 3.2 15.7 75.8
湿度 76 74 72 70 75 85 87 87 89 87 80 78 80
平均月間日照時間 181.6 191.8 194.8 204.6 198.5 144.8 138.6 162.7 126.6 140.3 162.5 171.9 2,022
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1925年-現在)[15][16]

隣接する自治体編集

歴史編集

 
アレクサンダー・クロフト・ショー。当地を生涯の避暑地とし、その魅力を国内外に紹介した。
 
雨宮敬次郎。明治期に大規模な開墾事業を行う。
 
野沢源次郎(東京の貿易商「野沢組」経営者)。当地での転地療養をきっかけに別荘地開発に乗り出す。
 
堤康次郎。大正期より大規模な別荘地開発、観光地開発を行う。
 
ダニエル・ノーマン(中央)。軽井沢会の理事として清潔な軽井沢をつくるのに貢献。「軽井沢の村長さん」と呼ばれ親しまれた。

行政区域の変遷編集

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、軽井沢村・峠町および長倉村の一部(沓掛・塩沢新田・借宿)の区域をもって東長倉村が発足。
  • 1923年大正12年)8月1日 - 東長倉村が町制施行・改称して軽井沢町となる。村制時の3大字を継承[17]
  • 1942年昭和17年)5月8日 - 西長倉村を編入。同村大字長倉を当町大字長倉に編入。他に2大字を加えて5大字となる[17]
  • 1957年(昭和32年)2月1日 - 御代田町の一部(茂沢の一部)を編入[20]。大字茂沢が起立して6大字となる[17]
  • 1959年(昭和34年)4月1日 - 追分の一部(西鰍沢)が御代田町に編入[21]
  • 1960年(昭和35年)3月 - 沓掛区を「中軽井沢」に改称。大字長倉の一部より中軽井沢地区が起立[17]
  • 1971年 - 区画整理事業により、大字軽井沢の一部より軽井沢地区が起立[17]
  • 1973年 - 区画整理事業により、大字軽井沢の一部より軽井沢東地区が起立し、6大字・3地区となる[17]

人口編集

2021年現在まで、人口[22]、別荘数[23]ともに長らく増加傾向が続いてきたが、特に新型コロナウイルスが流行して以降、その増加率は高まりを見せている[24]。地方移住の需要増加により、2020年の同町の人口(転入)は全国の町村で最も高くなり[25]住宅地商業地ともに地価は上昇、住宅地の上昇率は県内トップであった[3]。また、国内リゾートの需要増加により、別荘地の地価も上昇、一部報道では物件不足とまで言われている[26]。この傾向は、コロナ収束後も急に冷え込むとは考えにくいとされており[26]、町は歓迎しつつも、乱開発やブランドイメージ低下につながらないよう、注意深く見守るとしている[24]

 
軽井沢町と全国の年齢別人口分布(2005年) 軽井沢町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 軽井沢町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

軽井沢町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


軽井沢町民憲章編集

わたくしたちは、雄大な浅間山にいだかれた高原の町軽井沢の町民です。
わたくしたちは、国際親善文化観光都市の住民にふさわしい世界的視野と未来への展望に立って、ここに町民憲章を制定します。

一 世界に誇る清らかな環境と風俗を守りつづけましょう
一 すべての来訪者に心あたたかく接しましょう
一 かおり高い伝統と文化を育てあげましょう
一 緑ゆたかな高原の自然を愛しまもりましょう
一 明るい家庭と伸びゆく町を築きあげましょう

出典:[27]

行政編集

議会編集

町議会編集

長野県議会(佐久市北佐久郡選挙区)編集

  • 定数:4人
  • 任期:2019年(平成31年)4月30日 - 2023年(令和5年)4月29日
  • 大井岳夫自由民主党)、花岡賢一(無所属)、小山仁志(無所属)、竹花美幸(無所属)

衆議院編集

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
井出庸生 43 自由民主党 120,023票
比当 神津健 44 立憲民主党 109,179票
池高生 53 NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で 3,722票

姉妹都市編集

教育編集

 
軽井沢町立図書館(離山)
 
ショーハウス記念館
 
軽井沢タリアセン(睡鳩荘)
 
ルヴァン美術館
 
ムーゼの森(軽井沢絵本の森美術館)

学校編集

学校の保養施設編集

など

社会教育施設編集

一部冬季休館する施設がある。

町立編集

  • 軽井沢町立図書館(中軽井沢図書館、離山図書館)
  • 軽井沢町歴史民俗資料館
  • 軽井沢町追分宿郷土館
  • 軽井沢町植物園(風越公園内)
  • 軽井沢型絵染美術館(個人のギャラリーであるが、2000年(平成12年)に施設・所蔵品全部が町に寄贈され開館した)
  • 室生犀星記念館(金沢市の施設とは別)
  • 堀辰雄文学記念館
  • ショーハウス記念館
  • 大日向開拓記念館(大日向公民館内)
  • 雨宮邸・蔵「ギャラリー蔵」(貸しスペース)
  • (旧)軽井沢駅舎記念館(2017年(平成29年)3月31日閉館。建物は町有のまましなの鉄道に貸し出され駅舎に改装された。同年10月27日よりしなの鉄道軽井沢駅旧駅舎口となった。同日、駅舎内に子供向けレクリエーション施設「森の小リスキッズくらぶ」が開業した。2018年(平成30年)3月には「森の小リスキッズステーションin軽井沢」や駅ナカ商業スペース「しなの屋KARUIZAWA」もオープンした[39]

私立編集

産業編集

北陸新幹線しなの鉄道線浅間サンライン日本ロマンチック街道を介して隣接する、長野県の御代田町小諸市佐久市東御市上田市、群馬県の嬬恋村長野原町草津町安中市下仁田町と大規模な経済圏を形成しており、軽井沢町はその中核をなす(近年では「大軽井沢経済圏」という呼称がある)[40][41]。また軽井沢町は、東日本からの長野県への玄関口としての役割も担っている[42]

立地企業編集

2021年3月、藤巻進町長は記者会見で、隣接する市町村に所在する企業などに「軽井沢」の名称を適切に使うよう要望した[43]

ほか多数

なお、歴史的に避暑客のために別地域から夏季限定で出店する形をとる商店が多かった軽井沢町では、軽井沢町にある店舗が最も著名であっても、創業地や本社・本店は別地域にあるという企業は多く、それは大きな特色となっている。

特産品編集

企業の保養施設編集

ほか多数

交通編集

 
碓氷第三橋梁
 
軽井沢駅
 
中軽井沢駅
 
県道133号旧軽井沢軽井沢停車場線(旧軽井沢ロータリー)

鉄道編集

アプト式鉄道時代に軽井沢駅-横川駅間を繋いだ鉄道橋「碓氷第三橋梁」(群馬県安中市)は、国の重要文化財に指定されている。また、軽井沢へ向かう際に横川駅で売られた荻野屋駅弁峠の釜めし」は、全国的に知られている。

堤康次郎の存命中には西武秩父線の軽井沢駅延伸の計画も存在していたという噂があったが、康次郎存命中の1953年(昭和28年)に西武鉄道に入社し、後に同社の常務取締役を務めた長谷部和夫によると、「これは全くのデマで、当社としては与り知らぬこと(で)あります。ただし、長尾根地区の開発に絡んで西武秩父駅から空中索道などによる何らかの交通機関を検討していたのを地元の方々が希望を交え、このようなことが言われはじめたのではないかと考えられます。」[44]と否定している。

道路編集

町内にインターチェンジはない。最寄りICは碓氷軽井沢IC(群馬県安中市松井田町)。

バス編集

名所・旧跡・観光スポット編集

 
軽井沢ショー記念礼拝堂
 
雲場池
 
軽井沢外国人墓地
 
軽井沢聖パウロカトリック教会
 
旧三笠ホテル
 
矢ヶ崎公園
 
軽井沢会テニスコート
 
軽井沢プリンスショッピングプラザ
 
ハルニレテラス

以下は、戦前に外国人向けに出版された軽井沢の観光案内の一部である。

A lover of beautiful landscapes rich with foliage and wild flowers will want to repeat this walk again and again, as the pleasure of studying the untrustworthy Asama from a safe distance grows on one … In June a host of odorless azaleas flame amid the green grass and young pines of the hillside and idealize the beautiful landscape. (木の葉と野花が生い茂る美しい風景を愛する人は、信頼できない浅間山を安全な距離から調査する楽しみが一気に高まるなか、この散歩を何度も繰り返したくなることでしょう… 6月になると、匂いをもたない無数のツツジが青い草原や若いカラマツの間に咲き乱れ、理想的な美しい風景となります。)
Thomas Philip Terry, "Terry’s Japanese Empire: A Guide for Travelers"[45], 1919
It suits all tastes. Some go there for rest and quiet and the opportunity to study; others look forward to the golf, tennis, […] . The botanist, the bird-lover, and the entomologist all find themselves in the happiest of hunting-grounds. For the hiker, Karuizawa is beyond compare as the starting point for day-long walks through the woods and over the hills, and also for more ambitious trip to Ikao, Kusatsu, Nikko, or the Japan Alps.(すべての人の好みに合います。休息と静寂、そして勉強の機会を求めて行く人もいれば、ゴルフ、テニス、(中略)などを楽しみにする人もいます。植物学者野鳥愛好家、そして昆虫学者は皆、最も幸せなハンティング・グラウンドにいることに気付きます。ハイカーにとっても、軽井沢は、森の中や丘の上を一日かけて歩くための出発地点として、また、伊香保草津日光日本アルプスなどへの野心的な旅行のための出発地点として、比類のない場所です。)
Edward Vivian Gatenby, "Karuizawa and Nojiri"[46], 1935
Nowhere in Japan does the air seem to fresh and cool after the sultry heat of the lowlands. An August morning in Karuizawa, with Asama clear-cut against a cloudless sky, ‘uguisu’ calling amongst the trees, the light mists trailing up Hanare-yama, and the promise of brilliant sunshine to continue, in an experience long remembered.(低地の蒸し暑さの後に、これほど新鮮で涼しげな空気を感じることは、日本ではどこにもありません。8月の軽井沢の朝、雲ひとつない空を背景に浅間山がくっきりと浮かび上がり、木々の間からは「ウグイス」の声が聞こえ、離山には薄が立ち込め、その続きに約束されている太陽が燦々と降り注ぐ様子は、長く記憶に残る体験となります。)
Edward Vivian Gatenby, "Karuizawa and Nojiri"[46], 1935

名所・旧跡編集

景勝地編集

見晴台は江戸時代以来の景勝地で、群馬県安中市松井田町側に跨る峠町の茶店各店も当時から営業。他は軽井沢避暑地になってから造成されたり、人の手が加えられている場所が多い。雲場池・レマン湖((南)軽井沢湖)・塩沢湖は近代以降の人造湖。白糸の滝も人工的に拡張・改変されている。

登山編集

老舗ホテル・旅館編集

コンサートホール編集

教会編集

町内には少なくとも15以上の教会・修道院・信徒修養施設があり、その数は神社仏閣を上回っている。なかでも観光スポットとしては以下が挙げられる。

公園・スポーツ施設編集

ショッピング編集

温泉編集

いずれもそれぞれ1施設のみの温泉であり、温泉街に当たるものはない。

その他、宿泊施設内に併設された温泉あり。

諸施設編集

  • 軽井沢観光会館
  • 軽井沢町都市施設さわやかハット
  • 軽井沢町地域交流施設くつかけテラス

郵便局編集

  • 軽井沢郵便局
  • 軽井沢駅前郵便局
  • 軽井沢追分郵便局
  • 千ヶ滝郵便局
  • 中軽井沢郵便局

行事編集

  • 軽井沢若葉まつり(4月下旬-6月上旬)
  • しなの追分馬子唄道中(7月最終日曜日)
  • 軽井沢ショー祭(8月1日)
  • 軽井沢紅葉まつり(10月1日-11月3日)
  • 軽井沢ウィンターフェスティバル(11月下旬-1月下旬)

大字・地区編集

6大字3地区・30区がある。

  • 大字峠町
    • 峠町区
  • 大字軽井沢
    • 旧軽井沢区
    • 新軽井沢区
    • 成沢区
    • 南ヶ丘区
  • 大字発地
    • 南軽井沢区
    • ニュータウン区
    • 馬取
    • 上発地区
    • 下発地区
    • 風越団地区
    • 杉瓜区
  • 大字追分
    • 追分区
    • 三ツ石区
  • 大字茂沢
    • 茂沢区

小字名は別に存在する。別荘地の名称や観光案内のエリア区分等とは一致しない。また各地域の各別荘地では軽井沢郵便局が配達の便宜上別荘や別荘地内を区分し、個々の別荘に「ハウス番号」と呼ばれる数字やアルファベットなどを付けており、宅配業者などもこれを利用している。1926年(大正15年)以来行われており、別荘にも住居表示のように掲げられている。なおこれらは住居表示に関する法律とは無関係の記号であり、住民基本台帳法上の住所地番とも異なる。

別荘地・観光案内等のエリア分け編集

不動産業者・観光業者などが概ね下記のような名称を用いてエリア分けを行っているが、これらは土地・別荘開発・販売業者が付けた別荘地の呼称や、観光案内等において用いられている名称であり、行政上の地名・地域区分として存在しているものではない。

  • 旧軽井沢エリア(峠町・旧軽井沢・鹿島の森・三笠・愛宕・万平・桜ノ沢・泉の里・雲場・離山など)
  • 新軽井沢エリア(新軽井沢・成沢・矢ヶ崎・南ヶ丘・南原など)
  • 南軽井沢エリア(南軽井沢・レイクニュータウン・南ヶ丘白樺台・南平台・扇平・和美(安中市松井田町)など)
  • 中軽井沢北エリア(小瀬・千ヶ滝中区・千ヶ滝西区・千ヶ滝東区・千ヶ滝山ノ手区・三井の森・泉ヶ丘・鶴溜・上ノ原・星野・塩壺など)
  • 中軽井沢南エリア(塩沢・前沢・鳥井原・風越など)
  • 西軽井沢・追分エリア(追分・茂沢・大日向・浅間台・借宿・つくしが丘など)

以下は町外

  • 北軽井沢エリア(長野原町・嬬恋村)
  • 奥軽井沢・浅間高原エリア(嬬恋村)
  • 東軽井沢エリア(安中市松井田町)
  • 西軽井沢・御代田エリア(御代田町)

ゆかりの著名人編集

 
別荘の庭で食事会を楽しむ宣教師のノーマン一家とウォーラ一ー家(大正初期)
 
大正期に『旧三笠ホテル』で開かれた晩餐会の風景。写真右から西尾忠方近衛文麿夫人(千代子)、徳川慶久夫人(實枝子)、里見弴有島武郎毛利高範夫人(賢子)、徳川義親山本直良黒田長和、黒田長和夫人(久子)、近衛文麿、山本直良夫人(愛)。

別荘所有者を列挙するだけでも膨大な数となるため、ここでは代表的な滞在者・文化功労者のみを記載する。下記の人物についてのエピソードやその他ゆかりのある著名人については「軽井沢#避暑地・別荘地として(文学・記録とともに)」を参照。

在住の著名人編集

過去に在住していた著名人(在住期間)も含む。

なお、かつての別荘所有者の多くは、夏になると生活拠点を完全に別荘に移し、秋にかけて数ヶ月間そこで暮らしていたため、その意味では、避暑に訪れた多くの著名人が、夏の期間は軽井沢町在住者であった。近年では、その代替として海外や都市圏との二拠点生活を送る者が増えている。

出身者編集

ゆかりの作品編集

文芸作品編集

ほか多数

映像作品編集

ほか

音楽作品編集

ほか

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 沓掛。
  2. ^ 南佐久郡大日向村出身の満蒙開拓移民が戦後入植した浅間山麓の地域。
  3. ^ 旧軽井沢区のうち旧軽井沢ロータリー(草軽交通旧軽井沢駅跡)周辺。
  4. ^ 新軽井沢区のうち軽井沢駅北口周辺。
  5. ^ 中軽井沢区のうち中軽井沢駅北口周辺。
  6. ^ 舞台は北海道であるが、「湿っ地屋敷」のモデルとなったのは軽井沢町の建築が知られている。

出典編集

  1. ^ a b 軽井沢町の統計 軽井沢町
  2. ^ 固定資産税の納入者 79・4%は町外住民 軽井沢ウェブ 2020年10月6日配信 2021年7月15日閲覧。
  3. ^ a b 新潟市・軽井沢町で地価上昇 新潟・長野、二極化鮮明 日本経済新聞2021年9月21日
  4. ^ 都心に近い軽井沢の魅力とは?人気のおすすめホテルやペンション風のロッジも紹介 NAVITIME Travel
  5. ^ 移住者も増えている!?別荘地として人気の軽井沢の歴史や魅力をご紹介! INAA
  6. ^ 軽井沢高原の風土 軽井沢観光協会
  7. ^ 世界大百科事典 第2版「高原野菜」の解説
  8. ^ a b 佐藤大祐, 斎藤功「明治・大正期の軽井沢における高原避暑地の形成と別荘所有者の変遷」(『歴史地理学』第46巻第3号、歴史地理学会、2004年6月)p.8,16
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  10. ^ 増田榮美「現代結婚式の歴史 —リゾートウェディングの誕生に焦点をあてて—」(紀要 (39), 37-52, 2016-01-31 上田女子短期大学)pp.33-34
  11. ^ 独自の進化を遂げた日本のブライダルビジネス 夢ナビ
  12. ^ 写真で見る西武ヒストリー(前編)II 西武グループ土地開発創始期(1893 - 1969) 西武ホールディングス
  13. ^ 気象”. 軽井沢町HP. 軽井沢町役場. 2021年10月1日閲覧。
  14. ^ 軽井沢 平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2021年10月1日閲覧。
  15. ^ 平年値ダウンロード”. 気象庁. 2021年6月閲覧。
  16. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2021年6月閲覧。
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  18. ^ 『人事興信録. 7版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ 軽井沢駅前で28戸焼く『朝日新聞』1970年(昭和45年)3月19日朝刊 12版 15面
  20. ^ 同年1月31日総理府告示第42号「町の境界変更」
  21. ^ 同年3月31日、総理府告示第95号「町の境界変更」
  22. ^ 令和3年度 軽井沢町の統計 人口 長野県軽井沢町公式ホームページ
  23. ^ 令和3年度 軽井沢町の統計 建設 長野県軽井沢町公式ホームページ
  24. ^ a b 軽井沢の土地に熱視線 新型コロナ下、地価上昇 信濃毎日新聞2021年4月30日
  25. ^ 23区民が引越した「非」大都市トップ10ランキング 東洋経済オンライン2021年5月19日
  26. ^ a b 高級リゾート物件が絶好調 価格2倍、軽井沢は品薄 NIKKEI STYLE2021年8月7日
  27. ^ 軽井沢町民憲章 軽井沢町 2021年10月10日閲覧。
  28. ^ 軽井沢町長プロフィール”. 軽井沢町 (2019年2月18日). 2019年6月2日閲覧。
  29. ^ 正副議長あいさつ”. 軽井沢町議会 (2021年5月7日). 2021年8月23日閲覧。
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  31. ^ 特集一軽井沢追分寮2013年1月30日 楓園
  32. ^ 軽井沢追分寮のご案内一都立八潮高等学校同窓会
  33. ^ 施設・設備紹介一青山学院高等部
  34. ^ 追分寮生活 その1一三輪田学園
  35. ^ 鴎友学園追分山荘
  36. ^ 軽井沢寮一共立女子大学
  37. ^ 中1軽井沢学習寮 東京女学館高等学校・中学校
  38. ^ 軽井沢三泉寮のご案内一日本女子大学教育文化振興桜楓会
  39. ^ しなの鉄道軽井沢駅、「駅ナカ」一新プロジェクト完了2018年3月14日 信濃毎日新聞
  40. ^ 地域活性化へ「大軽井沢経済圏」 フォーラム開設 日本経済新聞2018/02/26
  41. ^ 宿泊・発電事業でスタートした100年企業、プリンスグランドリゾート軽井沢の壮大な次世代戦略とは? フォーブス・ジャパン
  42. ^ 軽井沢町 長野県町村会
  43. ^ 軽井沢の名称、適切使用を 共同通信社
  44. ^ 長谷部和夫「西武鉄道でのできごと」『レイル』 92号、エリエイ、2014年10月、63頁
  45. ^ Thomas Philip Terry, Terry’s Japanese Empire: A Guide for Travelers, Boston : Houghton Mifflin Harcourt, 1919, p.70.
  46. ^ a b Edward Vivian Gatenby, Karuizawa and Nojiri, Travel in Japan, Vol.1, No.2, Tokyo : Board of Tourist Industry, 1935, p.33.

関連項目編集

外部リンク編集